2008年08月15日

凄絶極めたサイパン

ビューポイント ■ダイジェスト 沖縄戦「集団自決」から62年 真実の攻防

米兵、婦女子らに残虐行為

凄絶極めたサイパン

天皇皇后両陛下

サイパンのバンザイクリフを望み、黙礼される天皇、皇后両陛下
平成17年6月28日午前(時事)

昭和二十年の沖縄戦での米軍による婦女暴行、残虐行為を当時の沖縄にいた人々は定かに知ることも少なかったであろうが、彼らが前年六月から七月にかけてサイパン島で起きた凄絶(せいぜつ)な悲劇の実相を伝え聞いたことは容易に理解できる。

激戦となったサイパンでの戦いで、日本軍の軍人・軍属約四万三千人が戦死、在留邦人約一万二千人が犠牲になった。

うち六割は沖縄県民で、投降を拒否した日本人が断崖(だんがい)から次々と身を投じたことは、既にこの連載でも書いた。

では、そのサイパン島で日本人はどのような「地獄」を体験し、目撃したかを、元陸軍大尉、田中徳裕(のりすけ)氏の著書

『我ら降伏せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』(立風書房、昭和五十八年刊)から紹介したい。

本著を読めば、米軍に追い込まれて投身した日本人ばかりではなかったことがよく分かる。現地の日本人が日本軍の駐屯地に行き、次のように語っているのだ。

「兵隊さん、私たちも夜襲に参加させてください。

妻子は、あの岩壁から、いま、落ちて死んでいきました。

……もう、なにも思い残すことはありません」

「病気で、手足まとい(原文のママ)になる妻子を、

いまジャングルの中で殺してきました。

兵隊さんたちと一緒に死んでいきます……」

また、従軍看護の使命を果たして十二、三人の女性看護婦が、軍人立ち会いのもとで注射器を使って自決する場面も出てくる。

こうした潔い死の場面とともに、昭和十九年七月九日、田中氏ら生き残った兵隊は山の中腹の洞窟(どうくつ)から眼下の飛行場で繰り広げられた、目を覆わんばかりの惨状も目撃している。

<三方から追い込まれた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。

幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。

婦女子が全員、素っ裸にされた。

そして、無理やりトラックに積み込まれた。(略)

婦女子全員が、トラックの上から

「殺して!」「殺して!」と絶叫している>

<婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴があがった。

ガソリンがまかれ、火がつけられた。

飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴……。

米軍は虐待しません、命が大切です。


早く出てきなさい……。


あの投降勧告は一体なんだったのか。

常夏の大空をこがさんばかりに燃え上る焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる>

<残虐な行為は凄絶をきわめた。

火から逃がれ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。

かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴(け)り飛ばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。

二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。

「ギャッー!」という悲鳴。

人間がまるで蛙のようにまたさきにされ殺されていく……。

彼らは、それをやっては大声で笑った。

無気味に笑う彼らの得意げな顔が、

鬼人の形相に見えた>

七月十一日。

<東の空が白むころ、追いまくられた住民がマッピ岬にむかって死の行進をはじめた。数百、いや数千人はいたろうか。もう、だれの制止もきかない。魔術にでもかかったように、怒濤岩をかむマッピ岬に立った。老人が先頭をきった。

「天皇陛下萬歳、皇后陛下萬歳!」

と叫んだかと思うと、海中めがけて飛び込んだ。

我々が潜んでいる洞窟のすぐななめ上である。

投身自決は、次々とおこなわれた。後から後から、子供も、婦人も、押されるようにして飛び込んでいく。

その海中に、群れをなしたサメが泳ぎまわっている。海はたちまちまっ赤に染まり、飛び込んだ人たちは次々と食いちぎられて沈んでいく>

マッピ岬とは、のちに「バンザイクリフ」と呼ぼれるようになるサイパン島の最北端の岬だ。

ほかにも、青竹に串刺しにされて死んでいる婦人の姿など、凄絶な場面が綴(つづ)られている。

ここで忘れてならないのは、このような場面を

目撃した日本人の中で一番多かったのが、

ほかならぬ沖縄の人たちであったという点だ。

生き残った彼らが、サイパン島での玉砕の様子をさまざまな形で、故郷の親戚(しんせき)や縁者に怒りと悲しみをもって伝えたことは間違いない。

米軍上陸の前から、沖縄をはじめ日本人は敵軍の「鬼畜行為」におびえていたのである。


Takashi
沖縄では「軍命はなかった!」と主張している人たちは「集団自決はなかった!」と主張していると誤解されています。
梅澤隊長は軍刀を抜いて正式に「自決するな」と命令したわけですが、このような話を聞けば誰も捕虜になるくらいなら・・・と考えるのは自然な考えではないでしょうか。

命令で我が子を殺せる方はいますか?
当時の人は皇民化教育(左翼用語)で頭がおかしかったから、出来たのでは?
そう思った方、貴方よりは戦前の方は数倍頭は良いですよ。

※調べれば分かりますが、県民大会に参加していた人の中に、殺人集団の「共産過激派」や北朝鮮の思想「チュチェ思想家」等も参加していました。ネットで最も嫌われる宗教団体も参加しています。
沖縄のメディアも知っていますし、彼らと仲良しなのでしょう。

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この記事へのコメント
当時は未だ人種差別が激しい時ですから、あの「リンド、バーク氏」も日本人捕虜に対する処置には怒りを表しています、飛行機から落とすなんて常識みたいなものだった様です。

未だ黒人兵も参戦できず単独の飛行兵と補給部隊にしか配属されない、何故なら黒人兵に白人兵が殺される危険性が有ったのです、黒人兵には日本進駐は天国に着た様な感じと思います。

日本人も大東亜戦争を語る時は「全世界」の白人の怨念を覚えておかないといけません、オランダ・フランス・イギリス・白人社会に対する大抵抗の歴史ゆえ彼らには忘れる事は無理でしょう。

中国・韓国はそれを恩と感じず敵対視することで白人社会に日本の被害を云い立てることでしか生きていけない哀れな存在と決めつけ日本は日本として文武両道を全うし生きていく必要がある事を忘れたいけません。

宗教と同じく差別は絶体にこの世からなくなる事はあり得ない、優しい日本人から見れば「出来るだろう」と考えがちでしょうが有り得ません、共産党員の活動が21世紀の現代でも狂気の様に日本叩きにやっきに成っている。

捕虜は大陸での捕虜の悲惨な最期を見ている日本兵が、あんな目に逢うのなら死を選んだほうが「楽」と言う面も忘れてはいけないでしょう、「通州事件」を見れば分かるように一過渡の殺しようでは有りません。

「共産党」が殺した人数、第二次世界大戦の戦死者より多いでしょう、スターリン・毛沢東・ポルポト・共産主義者に人権を語る資格など有りません、9条を守り「平和」を語る共産党の面の皮、厚いのでしょう。
お名前: 猪 ちゃん 2008年08月15日 10:43
この記事は、何度見ても本当に心が痛いです。
当時の白人にとっては、黒人同様に黄色人種は人間として扱うに値しなかったのでしょうね。
いまでこそ、人権がまもられているのは日本のおかげといってもいいかもしれないですね。
日本だけが、白人至上主義に立ち向かうことができたからこそ、日本の功績により多くの国が植民地支配から独立を果たせている。インドのチャンドラ・ボース、ミャンマーのアウン・サン等等。

東京裁判もかなり酷い不当裁判です。戦後、日本が二度と立ち上がれないように戦勝国は日本の手足を縛ってますね。当時の政府と軍が悪かったという意識改革。
日本国憲法はGHQの作成したものと聞いています。日本側が作ったことにしているまがいものをずっと守り続けるのもどうかと思う。
日本人の心が自虐から解き放たれて、真に国を思う心で憲法を考える必要があると思います。
その前に売国奴たちを何とかしないと。日本は蝕まれていますね。
お名前: うらうら ちゃん 2008年08月17日 03:01
猪さんへ

いまだに「KKK」がいるくらいですから、差別はなくならないでしょうね。
日本は他民族から悲惨な殺され方をされた方ですが、今はやったほうになっていますね。
通州事件・済南事件を学校で教えて、シナ人を憎む必要はありませんが、日本人の共通の知識として知ってもらいたいですね。


うらうらさんへ

戦前を美化するな!と左翼は言うでしょう。「美化してはいけない」という法律は無いんですけどね。逆に貶めるな!と言いたい。
戦後60年以上経ったわけですから、手足を縛った戦勝国を責めるより、呪縛を解かない日本人に問題がありますね。
お名前: ●Takashi●Takashi ちゃん 2008年08月19日 06:33