2008年08月29日
日本軍は命がけで沖縄県民を守った②
【史】平成20年1月1日発行 第66号(年6回奇数月1回1日発行)
新しい歴史教科書をつくる会
日本軍は命がけで沖縄県民を守った!(続き)
「集団自決」教科書検定問題の背景
フリージャーナリスト 恵 隆之介
●Takashi
新しい歴史教科書をつくる会
日本軍は命がけで沖縄県民を守った!(続き)
「集団自決」教科書検定問題の背景
フリージャーナリスト 恵 隆之介
●Takashi
●沖縄県平和祈念資料館展示の嘘
それで、次がもっと問題であります。沖縄戦がいよいよ激化しますと、避難住民が次々と戦闘用の濠に流入してきました。私は伯母の最期を知りたくて、ひめゆり部隊女子学徒の証言集を時々読んでいますが、米軍は壕の前で、投降勧告に応じなければすかさずガス弾を投入し、火炎放射器で攻撃して来たのです。
このひめゆり部隊を引率している陸軍の将校や下士官たちが、
「あなた方は生きて沖縄のために尽くしなさい」
と言いました。
すると、女子学徒は何と言ったと思いますか。
「死ぬ時まで一緒と言いながら、ここに至って投降せよと言うんですか」
と喰ってかかっているのです。
こういった証言がいくつも残っています。
そこで、帝国陸軍の将校や下士官たちは抜刀して
「ここまで言っても分からぬのか、たたっ斬るぞ」
と言って、壕の外に追い出して投降させているのです。
そういうふうにして救助されて、今日、生きている当時の女子学徒が多数いるのです。
ところが、沖縄の糸満市に沖縄県平和祈念資料館というのがあり、戦闘中における壕の中の生活を蝋人形で再現したとして、母子に対して着剣した兵士が威嚇しているシーンがあります。
修学旅行で全国から来る青少年の数は沖縄県が一番多いんですが、この青少年たちは平和祈念資料館でこういったシーンを見せられて帰って行く。
頭の中には、もう左翼のウイルスが打ち込まれて行くのであります。
こんな人形は撤去すべきなんです。
ここでひめゆり学徒の証言、他の方々の証言を総合しますと、ああいった極限状態で、
「みなさん、早く投降してください」
と言われてそれに従ったら、同じ沖縄県民からも恨まれるという状況だったのです。
それで、着剣して強制的に壕から出して助けたという例が多々あったのです。
本島南部でも、自決しようとした住民を着剣して威嚇して投降させています。
ひめゆり学徒の証言や、当事者能力を持っておられた方々の証言を読んだり聞いたりしていますと、
その中に軍から「自決せよ」とか「死ね」とか言われた話はどこにも、一言も出てこないんです。
では、いったい何を根拠に日本軍を非難しているのかと言いますと、
「疎開というのは下心があってやったのだ。
次の戦闘力を保存し、戦争に動員するための手段であった」
という曲解です。
私は沖縄県民として恥ずかしい。
これは戦前からあつた沖縄県民の欠点であり、日本本土に対する被害者意識、ひがみと言うべきものです。
それが見事に左翼に利用されている。
●立派だった日本軍将兵
では、一般兵士はどう戦ったのかと言いますと、これも実際にあった話です。
昭和59年5月16日の毎日新開に掲載された記事ですが、アメリカのシカゴに住んでいる米陸軍の軍曹だったイラン・ポニックさんという人が、こういうことを言っています。
「沖縄本島南部で、両足を銃弾で打ち抜かれて倒れている沖縄の少年がいたので、助け上げて救命していた。
すると、日本兵が至近距離まで近づいてきて、狙撃されかかった。
ところが、その日本兵は、米兵が少年を介抱しているとわかって銃口を下げた。
ポニックさんが『サンキュー』
といったら、その日本兵も頭を下げて去っていった」
というのです。
だから、是非、この日本兵に会って御礼が言いたい、という趣旨の記事でした。
その日本兵とは千葉県にお住まいの石橋明元上等兵で、昭和59年当時はご存命です。
いかにお二人の証言が一致するか、ちょっと紹介させてもらいます。
石橋さんは当時27歳で、球(たま)部隊独立機関銃第一八八〇九隊に属していました。
残存部隊に合流するため沖縄県の最南端に向かう途中で、県人避難民45名と米兵を発見したそうです。
米兵が背を屈めて日本人の子供に触れていたので、虐待しているのではと思い、後方から近づいて米兵の正面に立ち、撃とうとした。
その時、実弾が五発入っていたと言いますから、確実に撃てたのです。
ところが、米兵が子供を介抱していることを発見したので、殺す必要はないと思ったそうです。
これは昭和20年6月20日のことでした。
沖縄戦が終結したのは6月23日ですので、最後の戦いだったんです。
殺す必要はないと銃口を下に向け、その場を立ち去ったそうですが、その次がまた偉いんです。
近くには避難民とそれを監視していた米兵たちがいた。
発砲すれば住民も犠牲になるからということもあって発砲を控えたということであります。
ですから、上は大田實海軍中将から、下はこういう兵士に至るまで、日本の国威と沖縄の将来のため真剣に戦ったのです。
皆様、それをぜひ理解してほしいのです。
残念ながら、自衛隊でさえも最近はこういった歴史教育をしきれなくなっている。
今回の検定意見撤回を求めた県民大会には制服自衛官までもが参加していました。
実は私は今日、「新しい歴史教科書をつくる会」が行った記者会見に同席し、沖縄戦のネガティブなところだけ教科書に掲載するのではなく、今お話しした内容のことも掲載してくれと要請いたしました。
●疎開で十六万人の命が助かった
ここでもう一度、要点を四点確認申し上げます。
第一は、疎開計画に基づいて、延べ187隻の船舶と車輌をもって16万人の命が助かったという点です。
ちなみに、沖縄戦における非戦闘員の犠牲は3万6956人で、この方々の多くは県の避難勧告に従わなかったからこうなったのであります。
はっきり言わしてもらいます。
第二に、憲兵による避難誘導の話です。この憲兵の方は最後まで住民の避難誘導につとめ、戦死されました。
第三に、大田海軍中将が最期の電文
「沖縄県民斯ク戦ヘリ、後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
を打電しました。
沖縄が昭和47年に返還された時、当時の佐藤総理は
「沖縄県民の労苦に報いることであれば、国費をいくら投入してもよい」
と述べ、その結果、平成12年までに
約10兆5000億円が投下されました。
隣の奄美大島は戦前より人口が減っていますが、沖縄県はこの結果、ブクブク太って戦前の人口の二倍を突破し、現在138万人に達しています。
第四に、最近、共通一次試験にも出題されましたが、
「沖縄にある米軍基地は、在日米軍基地の75%が集中している」
という話です。
しかし、これは大変なデマゴギーで、実は沖縄にある在日米軍基地は全国の
23.5%しかありません。
75%と言いますのは「米軍専用施設」の中だけの比率であり、岩国、三沢、佐世保、横須賀等の広大な施設、これら米軍・自衛隊共有施設は分母に含まれていないのです。
ところが、こういったデマが全国民の頭の中にまで組み込まれてしまい、「沖縄の負担に鑑みると意見を言えない」という国会議員の先生方もいっぱいいらっしやるのです。
先ほど申し上げましたように、沖縄県は対馬丸記念館を建てたり、平和祈念資料館の蝋人形をつくったり、反日施策を実施している。
一方、政府は沖縄県民におもねって金をドンドン投下しています。
この悪循環の下に、県内の児童と本土から来た青少年がこのような施設を見て、「ああ、日本軍はけしからんな」と当然思わせられ、左翼のウイルスを頭に残置させられるのです。
ですから、厳しい意見や反論も沖縄県民にどんどん言ってください。
不要な哀れみをする必要ありません。
私はまともな沖縄県民として、勇気を持ってこれからも行動して行きたいと思っております。
(本稿は、平成19年11月13日に行われた講演の抄録です。6頁・8頁参照)
●Takashi
タイムス・新報さん、このような体験談を載せて下さいよ。
それで、次がもっと問題であります。沖縄戦がいよいよ激化しますと、避難住民が次々と戦闘用の濠に流入してきました。私は伯母の最期を知りたくて、ひめゆり部隊女子学徒の証言集を時々読んでいますが、米軍は壕の前で、投降勧告に応じなければすかさずガス弾を投入し、火炎放射器で攻撃して来たのです。
このひめゆり部隊を引率している陸軍の将校や下士官たちが、
「あなた方は生きて沖縄のために尽くしなさい」
と言いました。
すると、女子学徒は何と言ったと思いますか。
「死ぬ時まで一緒と言いながら、ここに至って投降せよと言うんですか」
と喰ってかかっているのです。
こういった証言がいくつも残っています。
そこで、帝国陸軍の将校や下士官たちは抜刀して
「ここまで言っても分からぬのか、たたっ斬るぞ」
と言って、壕の外に追い出して投降させているのです。
そういうふうにして救助されて、今日、生きている当時の女子学徒が多数いるのです。
ところが、沖縄の糸満市に沖縄県平和祈念資料館というのがあり、戦闘中における壕の中の生活を蝋人形で再現したとして、母子に対して着剣した兵士が威嚇しているシーンがあります。
修学旅行で全国から来る青少年の数は沖縄県が一番多いんですが、この青少年たちは平和祈念資料館でこういったシーンを見せられて帰って行く。
頭の中には、もう左翼のウイルスが打ち込まれて行くのであります。
こんな人形は撤去すべきなんです。
ここでひめゆり学徒の証言、他の方々の証言を総合しますと、ああいった極限状態で、
「みなさん、早く投降してください」
と言われてそれに従ったら、同じ沖縄県民からも恨まれるという状況だったのです。
それで、着剣して強制的に壕から出して助けたという例が多々あったのです。
本島南部でも、自決しようとした住民を着剣して威嚇して投降させています。
ひめゆり学徒の証言や、当事者能力を持っておられた方々の証言を読んだり聞いたりしていますと、
その中に軍から「自決せよ」とか「死ね」とか言われた話はどこにも、一言も出てこないんです。
では、いったい何を根拠に日本軍を非難しているのかと言いますと、
「疎開というのは下心があってやったのだ。
次の戦闘力を保存し、戦争に動員するための手段であった」
という曲解です。
私は沖縄県民として恥ずかしい。
これは戦前からあつた沖縄県民の欠点であり、日本本土に対する被害者意識、ひがみと言うべきものです。
それが見事に左翼に利用されている。
●立派だった日本軍将兵
では、一般兵士はどう戦ったのかと言いますと、これも実際にあった話です。
昭和59年5月16日の毎日新開に掲載された記事ですが、アメリカのシカゴに住んでいる米陸軍の軍曹だったイラン・ポニックさんという人が、こういうことを言っています。
「沖縄本島南部で、両足を銃弾で打ち抜かれて倒れている沖縄の少年がいたので、助け上げて救命していた。
すると、日本兵が至近距離まで近づいてきて、狙撃されかかった。
ところが、その日本兵は、米兵が少年を介抱しているとわかって銃口を下げた。
ポニックさんが『サンキュー』
といったら、その日本兵も頭を下げて去っていった」
というのです。
だから、是非、この日本兵に会って御礼が言いたい、という趣旨の記事でした。
その日本兵とは千葉県にお住まいの石橋明元上等兵で、昭和59年当時はご存命です。
いかにお二人の証言が一致するか、ちょっと紹介させてもらいます。
石橋さんは当時27歳で、球(たま)部隊独立機関銃第一八八〇九隊に属していました。
残存部隊に合流するため沖縄県の最南端に向かう途中で、県人避難民45名と米兵を発見したそうです。
米兵が背を屈めて日本人の子供に触れていたので、虐待しているのではと思い、後方から近づいて米兵の正面に立ち、撃とうとした。
その時、実弾が五発入っていたと言いますから、確実に撃てたのです。
ところが、米兵が子供を介抱していることを発見したので、殺す必要はないと思ったそうです。
これは昭和20年6月20日のことでした。
沖縄戦が終結したのは6月23日ですので、最後の戦いだったんです。
殺す必要はないと銃口を下に向け、その場を立ち去ったそうですが、その次がまた偉いんです。
近くには避難民とそれを監視していた米兵たちがいた。
発砲すれば住民も犠牲になるからということもあって発砲を控えたということであります。
ですから、上は大田實海軍中将から、下はこういう兵士に至るまで、日本の国威と沖縄の将来のため真剣に戦ったのです。
皆様、それをぜひ理解してほしいのです。
残念ながら、自衛隊でさえも最近はこういった歴史教育をしきれなくなっている。
今回の検定意見撤回を求めた県民大会には制服自衛官までもが参加していました。
実は私は今日、「新しい歴史教科書をつくる会」が行った記者会見に同席し、沖縄戦のネガティブなところだけ教科書に掲載するのではなく、今お話しした内容のことも掲載してくれと要請いたしました。
●疎開で十六万人の命が助かった
ここでもう一度、要点を四点確認申し上げます。
第一は、疎開計画に基づいて、延べ187隻の船舶と車輌をもって16万人の命が助かったという点です。
ちなみに、沖縄戦における非戦闘員の犠牲は3万6956人で、この方々の多くは県の避難勧告に従わなかったからこうなったのであります。
はっきり言わしてもらいます。
第二に、憲兵による避難誘導の話です。この憲兵の方は最後まで住民の避難誘導につとめ、戦死されました。
第三に、大田海軍中将が最期の電文
「沖縄県民斯ク戦ヘリ、後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
を打電しました。
沖縄が昭和47年に返還された時、当時の佐藤総理は
「沖縄県民の労苦に報いることであれば、国費をいくら投入してもよい」
と述べ、その結果、平成12年までに
約10兆5000億円が投下されました。
隣の奄美大島は戦前より人口が減っていますが、沖縄県はこの結果、ブクブク太って戦前の人口の二倍を突破し、現在138万人に達しています。
第四に、最近、共通一次試験にも出題されましたが、
「沖縄にある米軍基地は、在日米軍基地の75%が集中している」
という話です。
しかし、これは大変なデマゴギーで、実は沖縄にある在日米軍基地は全国の
23.5%しかありません。
75%と言いますのは「米軍専用施設」の中だけの比率であり、岩国、三沢、佐世保、横須賀等の広大な施設、これら米軍・自衛隊共有施設は分母に含まれていないのです。
ところが、こういったデマが全国民の頭の中にまで組み込まれてしまい、「沖縄の負担に鑑みると意見を言えない」という国会議員の先生方もいっぱいいらっしやるのです。
先ほど申し上げましたように、沖縄県は対馬丸記念館を建てたり、平和祈念資料館の蝋人形をつくったり、反日施策を実施している。
一方、政府は沖縄県民におもねって金をドンドン投下しています。
この悪循環の下に、県内の児童と本土から来た青少年がこのような施設を見て、「ああ、日本軍はけしからんな」と当然思わせられ、左翼のウイルスを頭に残置させられるのです。
ですから、厳しい意見や反論も沖縄県民にどんどん言ってください。
不要な哀れみをする必要ありません。
私はまともな沖縄県民として、勇気を持ってこれからも行動して行きたいと思っております。
(本稿は、平成19年11月13日に行われた講演の抄録です。6頁・8頁参照)
●Takashi
タイムス・新報さん、このような体験談を載せて下さいよ。
Posted by ●Takashi ちゃん 05:50│Comments(4)
│沖縄問題
この記事へのコメント
旧軍の軍人さん、将校・下士官の方も沢山知る人が居ましたが人間として立派な人が多いと思います、左官級の人は身近には居ませんでしたので知りませんが、退役少将が長屋に住んで居られました。
共産党に被れたのは知りませんが旧軍人は「陛下の臣」として、外国でも国内でも恥ずかしい人間で有っては成らない~これが心棒に有るのですから現在の様に「公」の意思が薄弱な日本人には分らないのでしょう。
内務省・朝鮮志願兵の資料で見ると昭和13年採用40名に応募者2,948名。昭和14年採用613名に応募者12,348名。昭和15年採用3,060名に84,443名。昭和16年採用3,206名に応募者144,743名。昭和17年採用4,077名に応募者254,273名。昭和18年採用5,300名に応募者303,294名。当初は7,7倍、最終的には56,7倍。優秀な軍人がインパールで朝鮮人部隊の歩兵106連隊(狼18702)として戦い1,324名の戦死者を出しながら英印軍と戦い健闘しています、日本軍として戦はれているのです。
志願兵の皆さんに対する韓国での評価は「職が無くて軍隊に行かざるを得ない人達」と教えていますが現在の日本・韓国共「大東亜戦争」の、戦死者に対する態度は褒められたものでは有りません。
日清・日露戦争など日本の歴史から消えていく様な感じすら受けますが、これが戦後の日本人の姿と考えると情けなく成ります。
韓国同様、沖縄王朝が「庶民?」に取っても良き時代に考える人がタイムス・新報両者に刷り込まれたのが歴史を勉強しないが故、拡大しているのでしょう~情けないですね。
共産党に被れたのは知りませんが旧軍人は「陛下の臣」として、外国でも国内でも恥ずかしい人間で有っては成らない~これが心棒に有るのですから現在の様に「公」の意思が薄弱な日本人には分らないのでしょう。
内務省・朝鮮志願兵の資料で見ると昭和13年採用40名に応募者2,948名。昭和14年採用613名に応募者12,348名。昭和15年採用3,060名に84,443名。昭和16年採用3,206名に応募者144,743名。昭和17年採用4,077名に応募者254,273名。昭和18年採用5,300名に応募者303,294名。当初は7,7倍、最終的には56,7倍。優秀な軍人がインパールで朝鮮人部隊の歩兵106連隊(狼18702)として戦い1,324名の戦死者を出しながら英印軍と戦い健闘しています、日本軍として戦はれているのです。
志願兵の皆さんに対する韓国での評価は「職が無くて軍隊に行かざるを得ない人達」と教えていますが現在の日本・韓国共「大東亜戦争」の、戦死者に対する態度は褒められたものでは有りません。
日清・日露戦争など日本の歴史から消えていく様な感じすら受けますが、これが戦後の日本人の姿と考えると情けなく成ります。
韓国同様、沖縄王朝が「庶民?」に取っても良き時代に考える人がタイムス・新報両者に刷り込まれたのが歴史を勉強しないが故、拡大しているのでしょう~情けないですね。
お名前: 猪 ちゃん 2008年08月29日 13:46
猪さんへ
資料ありがとうございます。
戦場でも犯罪で捕まれば刑務所に入り、村役場に通達があったそうですから、悪い事など出来ませんよね。村中の噂になるそうです。
私の祖父は身長が低かったため、身体検査で不合格になったと父から聞きました。恥ずかしい事だったのでしょう、祖母は違うといっていました。その後志願して海軍に入り、フィリピンで戦死しました。
韓国人は敗戦で寝返った恥ずかしい現実がありますから、当時の事を全否定するのは仕方ないかも知れませんね。彼らは労働を嫌いますから、「職が無くて軍隊に行かざるを得ない人達」と考えるのでしょう。昔、テニスをする欧米人を見て、「何かの罰なのか?」と聞いたそうです。
何も分からない県民は、琉球王朝時代を良い時代だと考えています。当時の権力者の子孫がそう考えるなら良いのですが、農奴の子孫が良く思っているのですから笑っちゃいます。
マスコミの影響ですが、正直気持ち悪いくらいの民族意識を持っています。当時のを恥じる必要はありませんが、絶賛するような王朝なのか?と言いたいです。
資料ありがとうございます。
戦場でも犯罪で捕まれば刑務所に入り、村役場に通達があったそうですから、悪い事など出来ませんよね。村中の噂になるそうです。
私の祖父は身長が低かったため、身体検査で不合格になったと父から聞きました。恥ずかしい事だったのでしょう、祖母は違うといっていました。その後志願して海軍に入り、フィリピンで戦死しました。
韓国人は敗戦で寝返った恥ずかしい現実がありますから、当時の事を全否定するのは仕方ないかも知れませんね。彼らは労働を嫌いますから、「職が無くて軍隊に行かざるを得ない人達」と考えるのでしょう。昔、テニスをする欧米人を見て、「何かの罰なのか?」と聞いたそうです。
何も分からない県民は、琉球王朝時代を良い時代だと考えています。当時の権力者の子孫がそう考えるなら良いのですが、農奴の子孫が良く思っているのですから笑っちゃいます。
マスコミの影響ですが、正直気持ち悪いくらいの民族意識を持っています。当時のを恥じる必要はありませんが、絶賛するような王朝なのか?と言いたいです。
お名前: ●Takashi ちゃん 2008年08月31日 06:41
恵さんの公演内容が真実だと思います。
真実だからこそ、すんなり頭に入ってきます。
それに比べ
「合囲地境では、助役の命令も軍の命令と同じ。」や
「酒を飲まされて詫び状を書いた。」
「自決するなと言わなかったのが自決命令。」など
左翼の主張はとても理解できません。
逆に、軍の命令は無かったと証明しているようものです。
沖縄の左翼の焦りを感じます。
終焉も近いでしょう。
真実だからこそ、すんなり頭に入ってきます。
それに比べ
「合囲地境では、助役の命令も軍の命令と同じ。」や
「酒を飲まされて詫び状を書いた。」
「自決するなと言わなかったのが自決命令。」など
左翼の主張はとても理解できません。
逆に、軍の命令は無かったと証明しているようものです。
沖縄の左翼の焦りを感じます。
終焉も近いでしょう。
お名前: 涼太 ちゃん 2008年08月31日 10:44
涼太さんへ
「自決するなと言わなかったのが自決命令。」
これを聞いた時はギャグかと思いました。
座間味島の梅澤元隊長は「自決するな」と命令したんですけどね。
あれほど金をかけ、数ヶ月間の県民大会参加キャンペーンで集まったのが約2万人ですから、左翼は焦っているでしょうね。
「自決するなと言わなかったのが自決命令。」
これを聞いた時はギャグかと思いました。
座間味島の梅澤元隊長は「自決するな」と命令したんですけどね。
あれほど金をかけ、数ヶ月間の県民大会参加キャンペーンで集まったのが約2万人ですから、左翼は焦っているでしょうね。
お名前: ●Takashi ちゃん 2008年09月02日 23:02