2008年11月22日

「米軍より日本軍怖い」感覚へ

沖縄戦「集団自決」から62年 2部

米、数千人動員して民間人救出
「米軍より日本軍怖い」感覚へ

沖縄戦に関する沖縄県民の手記には、しばしば「米軍よりも日本軍の方が怖かった」という感想が出てくる。

言葉も通じない敵の軍人に、同じ日本人よりも親近感を覚えるということが果たしてあるのだろうか。

それは、米軍が「日本の圧政に苦しみ、虐げられている状況を打開してくれた解放軍」という認識を、県民が抱くようになって初めて可能だ。

当時の沖縄県民の気持ちは、沖縄戦終結一カ月後の昭和二十年七月二十五日創刊の
「ウルマ新報」(後の琉球新報)の初代社長に就任した社会主義者の島清氏の著書『わが言動の書』を読むと理解できる。

島氏は、米軍のサトルス大尉の要請を受けて、新開発行を決意した時の心境をこう語っているのである。

「沖縄県民の多くは、今でも日本軍逆上陸を信じ、必勝を疑っていない。

これほど盲信している県民に、何時か誰かが真実を知らせる役割を果たさねばなるまい」

このように県民は負けてもなお日本軍を心底、信頼していたのだ。

対する米軍は、″鉄の暴風″で沖縄の地上を舐(な)め尽くす一方、県民の心を攪乱(かくらん)するため、一千万枚ともいわれる宣伝ビラを散布したのだ。

照屋善彦・山里勝己著『戦後沖縄とアメリカ 異文化接触の五〇年』 (沖縄タイムス刊)に収められた保坂廣志氏の「戦後沖縄ジャーナリズムの自己形成」が、その経緯を詳細に分析している。

同著によれば、ハワイに戦闘司令部を持つ米第10軍司令部内の情報部(一般にG-2と呼称)は、沖縄戦のために新たに心理作戦チームを編成し、沖縄にかかわる情報収集を開始。

その上で、ハーバード大学のアルフレッド・トッツア教授は「琉球列島の沖縄人・日本の少数集団」という心理作戦を立案した。

トッツア教授は、米国を中心とする戦後の沖縄占領統治を念頭におき、

「この戦争において、沖縄人と日本人の間にある亀裂を何等かの形で利用できないものだろうか」と自問し、次のような結論を導いている。

「沖縄人は虐げられてきたのだという意識を高め、沖縄人は、日本人全体と対応する個別の民族であるというアイデンティティーを強調する趣旨の宣伝懐柔策が成功をおさめるだろう。

今こそ、負け犬が自己主張することにより、沖縄人を結束させ、ついには実質的な離反とまではいかなくとも、敵の領土侵入の計画を黙認するに至るであろう」

「沖縄人は虐げられてきたのだという意識を高め、沖縄人は、日本人全体と対応する個別の民族であるというアイデンティティーを強調する趣旨の宣伝懐柔策が成功をおさめるだろう。

今こそ、負け犬が自己主張することにより、沖縄人を結束させ、ついには実質的な離反とまではいかなくとも、敵の領土侵入の計画を黙認するに至るであろう」

この心理作戦遂行のため、情報部は沖縄での空中散布用に570万枚のリーフレットを印刷。

米軍上陸後にまかれたあるビラの文面を紹介しよう。

「皆さん達の家はこわされたり、畑や作物は踏み潰され又元気盛りの青年は殺され、沖縄の人は皆口に言えぬ苦労をしています。

内地人は皆さん達に余計な苦労をさせます。

日本兵が沖縄の人々を殺したり住家をこわしたりしている事は皆さん達に明らかでしょう。

この戦争は、皆さんたちの戦争ではありません。

唯貴方達は、内地人の手先に使われているのです」

「沖縄人」と「内地人」を離間させ、対立を煽(あお)る「宣伝ビラ」の配布、方言による声の投降勧告の上で、米軍が行ったのが、戦場下で逃げ惑う民間人の救出だった。

保坂廣志氏は、この民間人救出に、数千人もの軍政要員と、沖縄系二世が動員されたと指摘している。

その結果、どのような光景が出現したのか。

ニューヨーク・タイムズは渡嘉敷島の集団自決の場面に遭遇したアレクサンダー・ロバーツ伍長の談話を掲載している。

<生き残った人々は、アメリカ兵から食事を施されたり、医療救護を受けたりすると驚きの目で感謝を示し、何度も何度も頭を下げた。「鬼畜米英の手にかかるよりも自ら死を選べ」とする日本の思想が間違っていたことに今気がついたのであろう。

それと同時に自殺行為を指揮した指導者への怒りが生まれた。

そして70人の生存者のうち、数人が一緒に食事をしている処に、日本兵が割り込んできた時、彼らはその日本兵に向かって激しい罵声を浴びせ、殴りかかろうとしたので、アメリカ兵がその日本兵を保護してやらねばならぬほどだった>

キリスト教国家の米国から見れば自殺は罪が重い。

だから、日本人の自決行為は軍国主義思想の発露であり、軍の指導者が無理強いしたもの、と受け止めて「自殺行為を指揮した指導者」と書いたのだろう。

かくして、沖縄県民の心には徐々に、米軍ではなく日本軍が敵であるという認識が植え付けられていくのである。

沖縄戦で米軍がまいた、降伏を勧めるビラ(沖縄県立図書館所蔵)
降伏を勧めるビラ

Takashi
今は極左テレビとタイムス・新報に洗脳されています。

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Posted by ●Takashi ちゃん 07:00│Comments(5)沖縄問題
この記事へのコメント
良く理解できます、戦後の日本も一時期そんな状況に有ったと言えるでしょうが、日本軍人の帰還や戦後の生活が大変でしたのでDDTやチブスの予防だけが米軍の仕事の様な感じで日本国内は混乱はして居ましたが「日本人」である認識からは出る事は有りません。

沖縄の場合は当初から「米軍」は返還の意志もなく植民地にする気ですから真面目?に洗脳に取りかかり沖縄の歴史も研究したのでしょう。此の点の諜報活動には「英語」を敵国語と決めつけ教える事を一時的にでもやった日本との違いなのでしょうね。

しかし大阪の「沖縄」の人も日本人的感覚の方が強く朝鮮人の様な混乱も有りませんでした。朝鮮でも共産党と組んだ連中が暴れたので普通の人は普通に暮らしていた様に思います。鶴橋辺りの商店では普通に商売(濁酒は別)をしていたのです。

上記のチラシを見た事は有りますが「軍閥」「住民」の文字を見ると「中華人民共和国」の壁新聞の写しの様な感じです。戦後「軍閥」「軍国主義」の言葉が躍ったのも思い出します。今世界で軍国主義でない国はどの位あるのでしょう?たぶん「0」でしょう。except japan。
お名前: 猪 ちゃん 2008年11月22日 11:07
猪様のご意見につけ加えさせていただきます。
沖縄の戦後も陸軍第八心理作戦部隊のことが思いだされます。現在のキャンプ・キンザーの仲西のゲートの奥のほうにそのオフィスがあったようです。
ここで日本は沖縄を捨石にした、米軍は沖縄に様々な恩恵を与えた。だから沖縄住民は米軍に統治されているほうが、本土復帰するよりも幸福なんだ、という刷り込みをいろいろ形で、メディアなども使っておこなったのでした。
そして本土復帰以降は本土から共産主義系の労働運動や日教組がどお~っと流れ込み、反日運動を始めます。マスゴミもそれに歩調を合わせ、開邦国体の知花昌一みたいな恥知らずを生み出しました。

私はこの構図はある意味本土とまったく同じで、本土もGHQの占領政策とその後の共産主義運動は一見相反するようですが、反日効果は逆に相乗効果があって、国旗、国歌を否定する感覚が普通になるような空気が醸成されたと思います。
いわばアメリカと共産主義者とのコラボによる日本否定作戦は、やはりある程度、いや、かなり成功したみたいです。しかし近年ネットの普及により、マスメディアを通さずとも情報が得られることから、真実を知った国民も増えています。このあたりがささやかな希望でしょうか・・・・・・
お名前: トラネコ ちゃん 2008年11月22日 21:02
トラネコさん。
そうでしたね~複帰前の状況は「左り走行」が右に成る。ドルが円に変わる。日の丸を準備するのが大変なんて大騒ぎでした。

甲子園の砂が船上から捨てなくても良い、日本国に複帰できると大歓迎が、日本から来た「反日」弾丸上陸・「米軍広報」に続いてやられたのが効いたのでしょう。

加えて「沖縄」の歴史、王朝時代の「差別」などはそっちのけでNHKでやった「沖縄」のドラマの様な感じ、朝鮮にも当てはまります。

若くはないのですが「小林よしのり氏」ファンです。小林さんとは少し沖縄の見方の違うところは有りますが、現状の沖縄は「一つ」の意見しか通らないと言われているのが良く分かります。

経済界も「反日」を叫ばれていると「商売」になる「金」が落ちる。言論界・教育界も「利権」の為の「反日」を煽り続けなければ生きていけない悲しい現状は本土も同じ様です。

日本も沖縄も「国際化」「中国化」すれば幸せに成るだろう?と言う幻想を取り除き戦後60年を真剣に見直さないといけません。自立の前には米軍も必要だったのですが、日本の「甘え」と「贅沢」が現在の不幸を呼んで居るのです。
お名前: 猪 ちゃん 2008年11月23日 11:27
猪さん、トラネコさん、返事が遅れて申し訳ございません。

猪さんへ

なにか粉をふり掛ける米軍の写真を見たことがあります。県民を救うアメリカ人というアピールだったのでしょうね。

沖縄は日中に睨みをきかせる良い位置にありますから、せめて自治領にしておきたかったでしょうね。

国民に「英語」を敵国語と呼びかけていたのは、たしか朝日などのメディアだったと思います。戦後行き過ぎた行為と言い、当時の政府を批判していたような気がします。たぶん、政府は禁止していなかったと思います。


トラネコさんへ

解説ありがとうございます。

ホント、そうですね。たしかに沖縄は異常ですが、本土も構図は一緒ですね。田母神氏の問題で「全国の沖縄化」が進んでいるように思えました。
お名前: ●Takashi●Takashi ちゃん 2008年12月01日 06:48
精准医疗又叫个性化医疗,是指以个人基因组信息为基础,结合蛋白质组,代谢组等相关内环境信息,为病人量身设计出最佳治疗方案,以期达到治疗效果最大化和副作用最小化的一门定制医疗模式。因此相较传统医疗,精准医疗具有针对性、高效性及预防性等特征。

美国医学界在2011年首次提出了“精准医学”的概念,今年1月20日,奥巴马又在美国国情咨文中提出“精准医学计划”,希望精准医学可以引领一个医学新时代。10月8日,2015全球创新论坛纽约峰会在纽约穆迪总部大楼举办。乐土投资集团CEO刘如银在峰会上介绍了他的精准医疗生态圈的想法。

刘如银介绍了乐土投资在美国的国际化实践,包括在美国的地产投资拓展,以及最新投资的医疗健康项目。乐土投资集团(CLIG)定位以硅谷的高科技投资为引擎,以科技医疗和互联网金融为两翼,链接最具价值的深科技健康项目,服务国际大健康和科技发展。

美国财政预算计划在2016年拨付给美国国立卫生研究院(NIH)、美国食品药品监督管理局(FDA)、美国国家医疗信息技术协调办公室(ONC)等机构共2.15亿美元用于资助这方面的科学研究与创新发展。

刘如银说:美国的精准医疗主要是围绕着基因组、蛋白组等方面的检测,也就是围绕分子生物学的特性,针对个体化的病理特征进行治疗。而我们所关注的不仅如此,更是系统化的,全过程、全要素、全局性的对医疗过程和临床实践进行优化。我们所指的精准医疗也是针对每一个病人的具体病情,正确选择并精确的应用适当的治疗方法。刘如银认为:精准医疗的最终目标是以最小化的医源性损害、最低化的医疗资源耗费去获得最大化的病患的效益,其前景不可限量。

精准医疗要做到个性、高效及预防的关键在于筛查和诊断,因此基因测序等检测诊断技术的发展是关键。成本的下降让基因测序商业化市场的打开成为可能,基因测序技术的成熟和商用经过了多年的发展,1980 年自动测序仪出现,2001 年完成了人类基因组框架图标志着这一技术的成熟,2007 年二代基因测序技术大幅降低测序成本,使得这一技术应用出现可能,以走在前列的Illumina 公司为例,该公司自2007 年起把当时每个基因组的测序成本费用从1000万美元降到了当下的1000 美元, 根据Illumina 公司数据,全球NGS(二代基因测序)的应用市场规模预计为200 亿美元,药品研发和临床应用是增速最快的领域,增速超过15%,肿瘤诊断和个性化用药是最有应用前景的领域,市场规模120亿美元。乐土投资与Illumina以及新一代的基因检测公司Genalyte, Centrillion都有着合作关系。

刘如银说:精准医疗作为医疗模式的革新对提高我国国民健康水平有重要意义,将在基因测序技术发展和国家政策的推动下迎来黄金发展期。精准治疗是下一个新兴朝阳行业,我们关注基因测序、肿瘤诊断及个性化用药等相关投资机会。

全球创新论坛纽约峰会由全美华人金融协会(The Chinese Finance Association, TCFA) 主办。全美华人金融协会于一九九四年在美国成立。分布在世界各地的会员来自华尔街投行、基金、监管部门、和学术界,已成为联系中美金融界最重要的桥梁之一。协会定期举行学术年会。协会本部设在纽约,并在波士顿,华盛顿,旧金山,伦敦,香港,北京和上海等金融中心设有分会。

原招商银行行长马蔚华,中信银行美国分行行长文兵,汉世纪投资管理有限公司合伙人吴皓,联合国南南合作办首席经济与投资专家杨庆宏等参加了本年度会议并发表了讲话。
お名前: GeWext ちゃん 2015年11月04日 18:55
 
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