2008年09月16日
日の丸を”裏切った「教職員組合」
「復帰30年沖縄新時代宣言―沖縄問題のタブーを解く」
日の丸を”裏切った「教職員組合」
●Takashi
復帰以前の沖縄を知らない世代には少し驚きの内容です。
日の丸を”裏切った「教職員組合」
●Takashi
復帰以前の沖縄を知らない世代には少し驚きの内容です。
2、◆日の丸掲揚を強力に推進
「最近の校長先生はうらやましいですよ。卒業式で日の丸を堂々と正面に掲げられるのだから」
一九八〇年代、沖縄県内の公立中学校で八年間校長を務めた當眞哲雄さん(73)は言う。
(省略)
戦後、沖縄では激しい政治闘争が繰り返されたが、その中で日の丸は常に"揺れ"続けてきた。
一九四五年四月、戦争がまだ終結していない段階で、米軍は沖縄で占領政策を開始。
米軍は日の丸掲揚、君が代斉唱を禁じ、破った者には禁固や罰金を科すと発表した。
サンフランシスコ平和条約が発効した一九五二年四月二十八日、沖縄を統治していた米国民政府(USCAR)は、私的な場所に限って日の丸掲揚を認めた。
しかし、役所や学校など公共の場での掲揚は禁じられた。
そんな中、日の丸掲揚運動を強力に推進したのは、実は沖縄教職員会だった。
(省略)
一九五三年になると、新年の三日間、一般家庭に限って国旗掲揚が許可された。この時、教職員会は各学校の校長らに、
①各戸に国旗掲揚を奨励する
②国旗購入が間に合わない児童生徒は学校で紙の旗を製作して掲揚するよう指導する
---などを通達し、日の丸掲揚を徹底させたほどだ(同書)。
同年四月二十九日の天皇誕生日には、一般家庭だけでなく、学校での掲揚も認められ、この時の様子を『琉球新報』は次のように報じている。
「那覇市久茂地小学校では急ごしらえの掲揚台にワツと押しかけた生徒たちに囲まれ、校長先生が双眼を輝かせつつこんペきの空高く日の丸を掲げていた。
傍らで若い女教師がそつと目にハンカチを当てる…。
永年育まれた『民族的感激』の一瞬なのだ」
この時代、日の丸は入手困難だったため、教職員が本土から一括購入し、各家庭に販売した。
当時、教職員会会長だった屋良朝苗・元県知事の著書によれば、
「平均して、毎年一方本ぐらいの希望があった」
(『沖縄教職員会16年』)という。
教職員たちは入学式や運動会で国旗を掲揚しょうと涙ぐましい努力をしている。
万国旗の中に一番日立つように大きな日の丸を掲げ、警察や米軍が注意すると、
「装飾の一部だ」とごまかした。
このため、
「日教組は沖縄の教師を見習え」
とまで言われたという。
国旗掲揚運動は教職員会だけでなく、労働組合、PTA、市町村会など、保守・革新を超えて全県的な取り組みとなり、日の丸は復帰運動のシンボルとなっていった。
池田勇人首相(当時)とケネディ米大統領(当時)の首脳会談を受け、民政府は一九六一年六月、公共施設における祝祭日の国旗掲揚を容認。そして六九年十二月には国旗掲揚の完全自由化を発表。県民の悲願はついに達成された。
だが、日の丸掲揚にあれほど熱心だった教職員たちは、本土復帰を勝ち取ると、
「反日の丸」に豹変する。
小学校六・九%、中学校六・六%、高校ゼロ%__これは文部省が発表した」一九八四年度の沖縄の公立学校卒業式における国旗掲揚実施率である。数値は全国最下位。国歌斉唱にいたっては、一校も実施されなかった。
復帰前、教職員は「日の丸は民族のシンボル」と訴え、率先して掲揚運動を展開していたにもかかわらず、なぜこのような状況になってしまったのか。
原因は日教組との関係にある。
沖縄独自の組織だった沖縄教職員会は、復帰を翌年に控えた一九七一年、沖縄県教職員組合(沖教組)に改組。
復帰後の七四年四月に日教組の傘下に入り、「反日の丸」にスタンスを転換した。
福地曠昭・元沖教組委員長は当時の方針転換について、『琉球新報』一九九九年七月一日付で次のように証言している。
「六〇年代から日教組の教研集会で、
日の丸掲揚をやめるよう幹部から求められていた。
六八年ごろ、
『いつまで日の丸にこだわるのか。そういう時代じゃない』
として、教職員会の青年部大会が日の丸一括購入事業の中止を決定し、学校現場でも日の丸が撤去された。
日の丸掲揚運動とは鮮やかに矛盾するし県民にも分かりにくかったと思う」
(省略)
海邦国体の沖縄開催が決まると、県は国旗掲揚の雰囲気づくりのために、一九八五年から学校行事での国旗、国歌の徹底を始めた。
組合側はこれを「教育への不当な政治介入」として猛反発し、「日の丸・君が代を一校も許さない」との方針を打ち出す。このため、卒業式は反日の丸闘争の ″戦場"と化した。
県立高校の卒業式が一斉に行われた一九八六年三月一日。
沖縄本島北部の本部高校では開式直後、生徒が日の丸問題を議論することを提案し、卒業式は一転して討論会に変わってしまった。
日の丸撤去要求を学校側が拒否すると、生徒たちは式をボイコット。
生徒は運動場で勝手に卒業式を行う一方、校長は誰もいない式場で卒業証書を読み上げるという異例の事態になった(『沖縄タイムス』一九八六年三月一、二日付)。
当時、當眞さんが校長をしていた中学でも、「教職員の反対で卒業式会場に掲げることができず、式が始まる前に教頭と二人で運動場に掲げた」という。
翌一九八七年も卒業式は荒れ、読谷高校では女子生徒が日の丸を持ち去り、投げ捨てるという衝撃的な事件が発生。
そして同年秋、海邦国体のソフトボール会場で知花昌一氏(現読谷村議)が、日の丸を引きずり降ろし、焼き捨てた。
●Takashi
反日も「本土のせい」とは思っていませんけど、本土の極左の力があることも知っていただきたい。
「最近の校長先生はうらやましいですよ。卒業式で日の丸を堂々と正面に掲げられるのだから」
一九八〇年代、沖縄県内の公立中学校で八年間校長を務めた當眞哲雄さん(73)は言う。
(省略)
戦後、沖縄では激しい政治闘争が繰り返されたが、その中で日の丸は常に"揺れ"続けてきた。
一九四五年四月、戦争がまだ終結していない段階で、米軍は沖縄で占領政策を開始。
米軍は日の丸掲揚、君が代斉唱を禁じ、破った者には禁固や罰金を科すと発表した。
サンフランシスコ平和条約が発効した一九五二年四月二十八日、沖縄を統治していた米国民政府(USCAR)は、私的な場所に限って日の丸掲揚を認めた。
しかし、役所や学校など公共の場での掲揚は禁じられた。
そんな中、日の丸掲揚運動を強力に推進したのは、実は沖縄教職員会だった。
(省略)
一九五三年になると、新年の三日間、一般家庭に限って国旗掲揚が許可された。この時、教職員会は各学校の校長らに、
①各戸に国旗掲揚を奨励する
②国旗購入が間に合わない児童生徒は学校で紙の旗を製作して掲揚するよう指導する
---などを通達し、日の丸掲揚を徹底させたほどだ(同書)。
同年四月二十九日の天皇誕生日には、一般家庭だけでなく、学校での掲揚も認められ、この時の様子を『琉球新報』は次のように報じている。
「那覇市久茂地小学校では急ごしらえの掲揚台にワツと押しかけた生徒たちに囲まれ、校長先生が双眼を輝かせつつこんペきの空高く日の丸を掲げていた。
傍らで若い女教師がそつと目にハンカチを当てる…。
永年育まれた『民族的感激』の一瞬なのだ」
この時代、日の丸は入手困難だったため、教職員が本土から一括購入し、各家庭に販売した。
当時、教職員会会長だった屋良朝苗・元県知事の著書によれば、
「平均して、毎年一方本ぐらいの希望があった」
(『沖縄教職員会16年』)という。
教職員たちは入学式や運動会で国旗を掲揚しょうと涙ぐましい努力をしている。
万国旗の中に一番日立つように大きな日の丸を掲げ、警察や米軍が注意すると、
「装飾の一部だ」とごまかした。
このため、
「日教組は沖縄の教師を見習え」
とまで言われたという。
国旗掲揚運動は教職員会だけでなく、労働組合、PTA、市町村会など、保守・革新を超えて全県的な取り組みとなり、日の丸は復帰運動のシンボルとなっていった。
池田勇人首相(当時)とケネディ米大統領(当時)の首脳会談を受け、民政府は一九六一年六月、公共施設における祝祭日の国旗掲揚を容認。そして六九年十二月には国旗掲揚の完全自由化を発表。県民の悲願はついに達成された。
だが、日の丸掲揚にあれほど熱心だった教職員たちは、本土復帰を勝ち取ると、
「反日の丸」に豹変する。
小学校六・九%、中学校六・六%、高校ゼロ%__これは文部省が発表した」一九八四年度の沖縄の公立学校卒業式における国旗掲揚実施率である。数値は全国最下位。国歌斉唱にいたっては、一校も実施されなかった。
復帰前、教職員は「日の丸は民族のシンボル」と訴え、率先して掲揚運動を展開していたにもかかわらず、なぜこのような状況になってしまったのか。
原因は日教組との関係にある。
沖縄独自の組織だった沖縄教職員会は、復帰を翌年に控えた一九七一年、沖縄県教職員組合(沖教組)に改組。
復帰後の七四年四月に日教組の傘下に入り、「反日の丸」にスタンスを転換した。
福地曠昭・元沖教組委員長は当時の方針転換について、『琉球新報』一九九九年七月一日付で次のように証言している。
「六〇年代から日教組の教研集会で、
日の丸掲揚をやめるよう幹部から求められていた。
六八年ごろ、
『いつまで日の丸にこだわるのか。そういう時代じゃない』
として、教職員会の青年部大会が日の丸一括購入事業の中止を決定し、学校現場でも日の丸が撤去された。
日の丸掲揚運動とは鮮やかに矛盾するし県民にも分かりにくかったと思う」
(省略)
海邦国体の沖縄開催が決まると、県は国旗掲揚の雰囲気づくりのために、一九八五年から学校行事での国旗、国歌の徹底を始めた。
組合側はこれを「教育への不当な政治介入」として猛反発し、「日の丸・君が代を一校も許さない」との方針を打ち出す。このため、卒業式は反日の丸闘争の ″戦場"と化した。
県立高校の卒業式が一斉に行われた一九八六年三月一日。
沖縄本島北部の本部高校では開式直後、生徒が日の丸問題を議論することを提案し、卒業式は一転して討論会に変わってしまった。
日の丸撤去要求を学校側が拒否すると、生徒たちは式をボイコット。
生徒は運動場で勝手に卒業式を行う一方、校長は誰もいない式場で卒業証書を読み上げるという異例の事態になった(『沖縄タイムス』一九八六年三月一、二日付)。
当時、當眞さんが校長をしていた中学でも、「教職員の反対で卒業式会場に掲げることができず、式が始まる前に教頭と二人で運動場に掲げた」という。
翌一九八七年も卒業式は荒れ、読谷高校では女子生徒が日の丸を持ち去り、投げ捨てるという衝撃的な事件が発生。
そして同年秋、海邦国体のソフトボール会場で知花昌一氏(現読谷村議)が、日の丸を引きずり降ろし、焼き捨てた。
●Takashi
反日も「本土のせい」とは思っていませんけど、本土の極左の力があることも知っていただきたい。
Posted by ●Takashi ちゃん 05:55│Comments(10)
│沖縄問題
この記事へのコメント
キチガイですね。米軍もアメリカ政府もあのまま沖縄を返還してくれなければ,今よりずっと“平和”な日々が続いて居たでしょう。
私は幼い頃から“教師はアカである”と教えられて居たので,小学校の低学年の段階で担任や学校の幹部連中を信用して居ませんでした。最近,Takashiさんらを始め各々関連書を読む内により具体的に教師の歴史と矛盾が明確に分かる様に為りました。
人の話を聴く程...本を読む程日教組の悪事は暴かれます。私は自分のBlogで何度か書いて居ますが,ネットの普及は左翼にとって脅威と言えるのでしょう。彼らの主張するネット右翼説は,実は彼らの恐怖を表して居ると言えるのでは無いでしょうか。
そうした意味で,我々は左翼より有力な勢力であると認識します。
私は幼い頃から“教師はアカである”と教えられて居たので,小学校の低学年の段階で担任や学校の幹部連中を信用して居ませんでした。最近,Takashiさんらを始め各々関連書を読む内により具体的に教師の歴史と矛盾が明確に分かる様に為りました。
人の話を聴く程...本を読む程日教組の悪事は暴かれます。私は自分のBlogで何度か書いて居ますが,ネットの普及は左翼にとって脅威と言えるのでしょう。彼らの主張するネット右翼説は,実は彼らの恐怖を表して居ると言えるのでは無いでしょうか。
そうした意味で,我々は左翼より有力な勢力であると認識します。
お名前: LIBERST ちゃん 2008年09月16日 07:33
左翼は存在自体が矛盾ですからね。社会主義を礼賛しながらも、どの国も秘密主義だから実態は外部に知られないわけで、実際を知らないくせに社会主義体制がいい、と主張してきた過去があります。今ではそれらの国も理論が実態を乖離したがゆえに社会運営を失敗して、残された彼らはマルクスの本への原理主義志向を強めています。要するに昔から首尾一貫して現実性のあることは何ら述べていないことが分かります。
実際問題として、マルクスの時点では見えていなかった事柄が経済学ではその後登場しているので、マルクス理論では上手く行かないわけです。
ネットで散見される保守系の主張は現実的なものが多いと思います。これが左翼から脅威視される理由と思います。それは歴史に対する検証であったり、左翼の反社会行為や矛盾に対するツッコミだったり、色々あると思うのですが、現実的なのでその主張は社会から受け入れられやすいし、将来への展望のたぐいも実現性が高いわけです。
今後も夢想路線に走らないことが左翼からメディアを解放するための指針と思われます。政権では左翼色を表に出さない民主党は上手く議席を伸ばしていますが、共産党や社民党は比例区頼みの上に議席を減らしたり虫の息状態です。概ね世間は保守志向ということです。
実際問題として、マルクスの時点では見えていなかった事柄が経済学ではその後登場しているので、マルクス理論では上手く行かないわけです。
ネットで散見される保守系の主張は現実的なものが多いと思います。これが左翼から脅威視される理由と思います。それは歴史に対する検証であったり、左翼の反社会行為や矛盾に対するツッコミだったり、色々あると思うのですが、現実的なのでその主張は社会から受け入れられやすいし、将来への展望のたぐいも実現性が高いわけです。
今後も夢想路線に走らないことが左翼からメディアを解放するための指針と思われます。政権では左翼色を表に出さない民主党は上手く議席を伸ばしていますが、共産党や社民党は比例区頼みの上に議席を減らしたり虫の息状態です。概ね世間は保守志向ということです。
お名前: izumibeko ちゃん 2008年09月16日 10:13
復帰時の日の丸は何だったのでしょう?全てが共産主義社会の崩壊から日本えの反日運動に代わりました。
アメリカから日本軍「悪」を刷り込まれて居るにも関わらず返還時の日の丸に感激していた一人です。
親中・反日の朝日新聞ですらあの光景は発表せざるを得ないものでした、初の甲子園もそうでした甲子園全体が沖縄の高校生に応援した風景も忘れられません。これらを見てきた人間としては全てが本土の共産主義者が行先が無く、反日の土台を沖縄に移した様な気持で見ています。
沖縄で正常な人がどんどん増える事は本土の共産主義者に取っても致命傷に成るでしょう、益々「沖縄県民」を応援したくなります。
アメリカから日本軍「悪」を刷り込まれて居るにも関わらず返還時の日の丸に感激していた一人です。
親中・反日の朝日新聞ですらあの光景は発表せざるを得ないものでした、初の甲子園もそうでした甲子園全体が沖縄の高校生に応援した風景も忘れられません。これらを見てきた人間としては全てが本土の共産主義者が行先が無く、反日の土台を沖縄に移した様な気持で見ています。
沖縄で正常な人がどんどん増える事は本土の共産主義者に取っても致命傷に成るでしょう、益々「沖縄県民」を応援したくなります。
お名前: 猪 ちゃん 2008年09月16日 17:35
日本本土でも1970年代は反権力闘争が盛んでした。
その人たちも、自身の就職や社会人になって自らの思想の未熟さ、矛盾に気が付き、ほとんどの人が軌道修正しました。
軌道修正できなかった人たちが、よど号、浅間山荘事件を起こしたと思っています。よど号の犯人達も齢60にもなって帰属する国家も無く
惨めですね。
今の沖縄の左翼活動家を見るとき、当時の日本の活動家を見る思いです。
なんで沖縄がそうなったのかわかりませんが、利用されている可能性もあります。早く目を覚まして欲しいものです。
その人たちも、自身の就職や社会人になって自らの思想の未熟さ、矛盾に気が付き、ほとんどの人が軌道修正しました。
軌道修正できなかった人たちが、よど号、浅間山荘事件を起こしたと思っています。よど号の犯人達も齢60にもなって帰属する国家も無く
惨めですね。
今の沖縄の左翼活動家を見るとき、当時の日本の活動家を見る思いです。
なんで沖縄がそうなったのかわかりませんが、利用されている可能性もあります。早く目を覚まして欲しいものです。
お名前: 涼太 ちゃん 2008年09月17日 09:13
>Takashiさん
>>反日も「本土のせい」とは思っていませんけど、本土の極左の力があることも知っていただきたい。
いえ、沖縄の反日は、100%本土の極左が掘り起こしたモノだと確信しています。
私は、戦前と戦後直ぐの状態での左翼と、レッドパージを経て占領軍撤収後の左翼とでは明らかに質が変わっていると思います。
つまり、1955年=昭和30年と言う年は日本にとって特別な年であった、後年55年体制といわれる政治体制が確立した年であった他に、朝鮮戦争が終わり、サンフランシスコ条約が発効して、日本が世界復帰を認められ、「戦後」が終わり始めた年、つまり、新たな時代に向けて一歩を踏み出す年であったと云えるだろう。
誰の目にも明かではっきり言えたのは、左と右がハッキリ分かれたと言うことでした、労働運動はドンドン左傾化し、そして分裂して多様化して行きました、戦前の教師は、良家の息子、子女の出自が多く、公の存在を巧まず意識していたから、身を犠牲にしても国を護る、滅私奉公の本分に還る事にナンの疑いも持たなかった、それは琉球でも同じ事だった。
処が、戦後の本土では教師は、帰還した学徒動員や徴用兵士の主な就職口であった、死ぬ目に遭って無事生還を果たしても職がない、負けたからとは言え、死ぬ程辛い目に遭ったのに、ナンの労いも補償もない、中には飢え死にするモノさえ居た、こんな状態で国に感謝しろとか云えません。
オマケに、社会には米国に媚びる話しは山ほどあれど、旧日本を擁護する発言をする人は少ない、しても、やれ古いだの、軍国主義に染まっているとか非難の対象になるから、発言をする人は多くなかった、亦、そう言う教師は時代を経る毎に時代に埋没していった。
「新しい考え=WGIP教育が染み着いた」教師で構成された日教組は、戦前の体制を国民を敗戦へと導いた旧悪なモノと見做し、極め着けたから、戦前の価値観をそのままに持って居た沖縄の教師達は、そのまま受容するしかなかったのだろう、しかも、WGIPが米軍の極東経営の手段であったにもかかわらず、内容は社会理想主義的で、共産主義に近いモノがあった事から、内地に右へ倣いで、当時世界の共産主義国の中心であったソ連への傾斜を深める内容だった、つまり、反米である。
目の前に嘗ての敵米軍が常時居て、時折、問題を起こす、海兵隊隊員の構成年齢は20前後だから、性犯罪が多くなるのは当然だろうし、教師は子供を護らねばならない立場にあるから、必要以上に身構える部分があったろう、其処を衝いたのが、本土で凄惨な赤軍派事件を起こし、信用をすっかり失って本土を追われた革マル派や、中核派や、そのシンパである教師だった。
沖縄の人は、そろそろ気が着かねばならない、このまま本土の左翼共に引き摺られた結果、もし、不用意なまま外国と戦争になった場合、琉球を取り巻く国々は、世界でも有数の大国であり、軍事大国であることを考えれば、戦争は大規模、長期化する事は避けられない、そして、地理的にいって、沖縄の地が無事で済む筈がないと云う事を。
戦い避けるには、一体何が最も有効か、冷静になって考えて看るべきだと思います。
>>反日も「本土のせい」とは思っていませんけど、本土の極左の力があることも知っていただきたい。
いえ、沖縄の反日は、100%本土の極左が掘り起こしたモノだと確信しています。
私は、戦前と戦後直ぐの状態での左翼と、レッドパージを経て占領軍撤収後の左翼とでは明らかに質が変わっていると思います。
つまり、1955年=昭和30年と言う年は日本にとって特別な年であった、後年55年体制といわれる政治体制が確立した年であった他に、朝鮮戦争が終わり、サンフランシスコ条約が発効して、日本が世界復帰を認められ、「戦後」が終わり始めた年、つまり、新たな時代に向けて一歩を踏み出す年であったと云えるだろう。
誰の目にも明かではっきり言えたのは、左と右がハッキリ分かれたと言うことでした、労働運動はドンドン左傾化し、そして分裂して多様化して行きました、戦前の教師は、良家の息子、子女の出自が多く、公の存在を巧まず意識していたから、身を犠牲にしても国を護る、滅私奉公の本分に還る事にナンの疑いも持たなかった、それは琉球でも同じ事だった。
処が、戦後の本土では教師は、帰還した学徒動員や徴用兵士の主な就職口であった、死ぬ目に遭って無事生還を果たしても職がない、負けたからとは言え、死ぬ程辛い目に遭ったのに、ナンの労いも補償もない、中には飢え死にするモノさえ居た、こんな状態で国に感謝しろとか云えません。
オマケに、社会には米国に媚びる話しは山ほどあれど、旧日本を擁護する発言をする人は少ない、しても、やれ古いだの、軍国主義に染まっているとか非難の対象になるから、発言をする人は多くなかった、亦、そう言う教師は時代を経る毎に時代に埋没していった。
「新しい考え=WGIP教育が染み着いた」教師で構成された日教組は、戦前の体制を国民を敗戦へと導いた旧悪なモノと見做し、極め着けたから、戦前の価値観をそのままに持って居た沖縄の教師達は、そのまま受容するしかなかったのだろう、しかも、WGIPが米軍の極東経営の手段であったにもかかわらず、内容は社会理想主義的で、共産主義に近いモノがあった事から、内地に右へ倣いで、当時世界の共産主義国の中心であったソ連への傾斜を深める内容だった、つまり、反米である。
目の前に嘗ての敵米軍が常時居て、時折、問題を起こす、海兵隊隊員の構成年齢は20前後だから、性犯罪が多くなるのは当然だろうし、教師は子供を護らねばならない立場にあるから、必要以上に身構える部分があったろう、其処を衝いたのが、本土で凄惨な赤軍派事件を起こし、信用をすっかり失って本土を追われた革マル派や、中核派や、そのシンパである教師だった。
沖縄の人は、そろそろ気が着かねばならない、このまま本土の左翼共に引き摺られた結果、もし、不用意なまま外国と戦争になった場合、琉球を取り巻く国々は、世界でも有数の大国であり、軍事大国であることを考えれば、戦争は大規模、長期化する事は避けられない、そして、地理的にいって、沖縄の地が無事で済む筈がないと云う事を。
戦い避けるには、一体何が最も有効か、冷静になって考えて看るべきだと思います。
お名前: ナポレオン・ソロ ちゃん 2008年09月17日 23:04
ナポレオン・ソロさん
ありがとうございます。
親米派だった、沖縄タイムスや太田前知事がなぜ方針転換したのか、疑問が解けました。
でも、当時はそうだったとしてもソ連も崩壊しましたし、頼みの中国も酷い惨状を曝け出しています。沖縄タイムスは親の敵みたいに報道しますが、地位協定の改定で米兵の犯罪も減っていると思います。
よど号の犯人みたいに、帰属する国家がなくなる前に、今一度方針転換して欲しいものです。無理かな。
本土でもそうですが、左翼は人の弱みを上手く利用しますね。
ありがとうございます。
親米派だった、沖縄タイムスや太田前知事がなぜ方針転換したのか、疑問が解けました。
でも、当時はそうだったとしてもソ連も崩壊しましたし、頼みの中国も酷い惨状を曝け出しています。沖縄タイムスは親の敵みたいに報道しますが、地位協定の改定で米兵の犯罪も減っていると思います。
よど号の犯人みたいに、帰属する国家がなくなる前に、今一度方針転換して欲しいものです。無理かな。
本土でもそうですが、左翼は人の弱みを上手く利用しますね。
お名前: 涼太 ちゃん 2008年09月19日 01:24
LIBERSTさんへ
沖縄が返還されていなければ、日本は今以上に弱い立場だったかも知れませんよ。
感のいい子供は教師の偽善に気づくでしょう。
私は育てられ方に原因がありますが(甘やかされすぎ)小1で教師を「生意気」と思い、小5で敵だと思っていました。
テレビで「右傾化・右傾化」とよく言いますが、一般人には何の事だか分からないでしょうね。これは彼らの焦りでしょうね。
izumibekoさんへ
左翼は犯罪歴はあっても、実績はないですからね。説得力もありません。
「マルクス・レーニン万歳」等と叫んでも、誰もついて来ないですから、隠して活動するしかないのでしょうね。
政治ランキングを見れば分かりますが、上位は保守系ですから関心のある方は分かっているでしょう。
とことん追及すれば、国民の殆どが保守でしょうね。
猪さんへ
沖縄県公文書館に当時の写真があります。
当時、生まれていない世代には想像もつきませんでした。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/GRI/R34/011020.html
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/GRI/R34/011019.html
当時の甲子園の映像を沖縄のメディアは放送すべきですが、感動的なムードだから放送しないのでしょうね。見たいです。
國民新聞の山田さんが仰っていましたが、今でも本土に居れなくなった左翼が、沖縄に大勢移住しているそうです。
これからもがんばって更新しますので、応援よろしくお願いします。
涼太さんへ
Youtubeで70年前後の学生運動の動画は凄いですね。
狂っていたのでしょうね。その年代の人たちが、現在の日本を駄目にしているとも思えます。
利用もされているでしょうが、元々共産主義者もいますから、連帯しているのでしょう。まぁ親分は本土の人でしょうけど。
ナポレオン・ソロさんへ
>いえ、沖縄の反日は、100%本土の極左が掘り起こしたモノだと確信しています。
戦後アメリカの協力で誕生した新聞社等、メディアの社長は共産主義者ですよ。100%は言いすぎでしょう。
>私は、戦前と戦後直ぐの状態での左翼と、レッドパージを経て占領軍撤収後の左翼とでは明らかに質が変わっていると思います。
敗戦革命が成功したわけですから、戦略は変わるでしょう。
私は、戦前・戦後直後・現在の左翼は繋がっていると考えています。
※正確に言えば朝鮮戦争の停戦は1953年。サンフランシスコ条約署名1951年、効力発生は1952年。
教師、マスコミ・言論界に左翼が増えたのは1946年の公職追放で「戦争犯罪人・戦争協力者」等と言って保守層の有力者を追放した結果でしょう(20万人以上追放)。
いたる機関に左翼が増え、間違いに気づいて1950年に共産党員等を追放したのではないでしょうか(1万人超追放)。
たった1万人ですから、生き延びた左翼は大勢いるでしょう。
復帰前は日本兵を直接見てきた戦争体験者も多く居ましたから、現在ほど反日にならなかっただけで、沖縄のメディアは戦後一貫して反日です。新聞社の発刊に関わった人たちの多くが共産主義者で、彼らは追放されずに活動していたわけです。本土の左翼の影響等もありますが、これほど沖縄を駄目にした責任は沖縄の左翼やメディアにあると思っています。
戦後直後の日本の大人がアメリカに媚びていたように思えるかもしれませんが、日本は戦争をする前はアメリカが好きだった訳で、一時期な反米が敗戦で無くなり、当時の大人は媚びたというよりは親米に戻ったと言えるのではないでしょうか。恥じる事はないですよ。
一番最悪なケースはアメリカが反日になり、日本の保守派が反米になって、アメリカと中国が手を組み、沖縄が独立して米・中・沖vs日本本土との対立でしょう。沖縄の海上封鎖で日本は終わりです。
沖縄の共産主義者は変幻自在ですから、アメリカと手を組む事に何の抵抗もないでしょう。沖縄へ移住してくる左翼は、このような考えがあるかもしれませんよ。(想像ですけど)
涼太さんへ
>親米派だった、沖縄タイムスや太田前知事がなぜ方針転換したのか・・
沖縄タイムスの創刊に関わり『鉄の暴風』の執筆者の一人である太田良博は親米派というより、アメリカを利用して琉球放送の社長までのし上がった人物で、沖縄タイムス50周年企画の連載で「アナーキストと歌人の顔」と紹介された共産主義者です。敵の敵は見方という感覚でアメリカと組んで反日活動をしたのでしょう。
大田昌秀も筑紫と同じような「自称親米」ではないでしょうか?
コイツが親米だったとは想像もつきません。
左翼の主張は全て疑うべきですね。
沖縄が返還されていなければ、日本は今以上に弱い立場だったかも知れませんよ。
感のいい子供は教師の偽善に気づくでしょう。
私は育てられ方に原因がありますが(甘やかされすぎ)小1で教師を「生意気」と思い、小5で敵だと思っていました。
テレビで「右傾化・右傾化」とよく言いますが、一般人には何の事だか分からないでしょうね。これは彼らの焦りでしょうね。
izumibekoさんへ
左翼は犯罪歴はあっても、実績はないですからね。説得力もありません。
「マルクス・レーニン万歳」等と叫んでも、誰もついて来ないですから、隠して活動するしかないのでしょうね。
政治ランキングを見れば分かりますが、上位は保守系ですから関心のある方は分かっているでしょう。
とことん追及すれば、国民の殆どが保守でしょうね。
猪さんへ
沖縄県公文書館に当時の写真があります。
当時、生まれていない世代には想像もつきませんでした。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/GRI/R34/011020.html
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/GRI/R34/011019.html
当時の甲子園の映像を沖縄のメディアは放送すべきですが、感動的なムードだから放送しないのでしょうね。見たいです。
國民新聞の山田さんが仰っていましたが、今でも本土に居れなくなった左翼が、沖縄に大勢移住しているそうです。
これからもがんばって更新しますので、応援よろしくお願いします。
涼太さんへ
Youtubeで70年前後の学生運動の動画は凄いですね。
狂っていたのでしょうね。その年代の人たちが、現在の日本を駄目にしているとも思えます。
利用もされているでしょうが、元々共産主義者もいますから、連帯しているのでしょう。まぁ親分は本土の人でしょうけど。
ナポレオン・ソロさんへ
>いえ、沖縄の反日は、100%本土の極左が掘り起こしたモノだと確信しています。
戦後アメリカの協力で誕生した新聞社等、メディアの社長は共産主義者ですよ。100%は言いすぎでしょう。
>私は、戦前と戦後直ぐの状態での左翼と、レッドパージを経て占領軍撤収後の左翼とでは明らかに質が変わっていると思います。
敗戦革命が成功したわけですから、戦略は変わるでしょう。
私は、戦前・戦後直後・現在の左翼は繋がっていると考えています。
※正確に言えば朝鮮戦争の停戦は1953年。サンフランシスコ条約署名1951年、効力発生は1952年。
教師、マスコミ・言論界に左翼が増えたのは1946年の公職追放で「戦争犯罪人・戦争協力者」等と言って保守層の有力者を追放した結果でしょう(20万人以上追放)。
いたる機関に左翼が増え、間違いに気づいて1950年に共産党員等を追放したのではないでしょうか(1万人超追放)。
たった1万人ですから、生き延びた左翼は大勢いるでしょう。
復帰前は日本兵を直接見てきた戦争体験者も多く居ましたから、現在ほど反日にならなかっただけで、沖縄のメディアは戦後一貫して反日です。新聞社の発刊に関わった人たちの多くが共産主義者で、彼らは追放されずに活動していたわけです。本土の左翼の影響等もありますが、これほど沖縄を駄目にした責任は沖縄の左翼やメディアにあると思っています。
戦後直後の日本の大人がアメリカに媚びていたように思えるかもしれませんが、日本は戦争をする前はアメリカが好きだった訳で、一時期な反米が敗戦で無くなり、当時の大人は媚びたというよりは親米に戻ったと言えるのではないでしょうか。恥じる事はないですよ。
一番最悪なケースはアメリカが反日になり、日本の保守派が反米になって、アメリカと中国が手を組み、沖縄が独立して米・中・沖vs日本本土との対立でしょう。沖縄の海上封鎖で日本は終わりです。
沖縄の共産主義者は変幻自在ですから、アメリカと手を組む事に何の抵抗もないでしょう。沖縄へ移住してくる左翼は、このような考えがあるかもしれませんよ。(想像ですけど)
涼太さんへ
>親米派だった、沖縄タイムスや太田前知事がなぜ方針転換したのか・・
沖縄タイムスの創刊に関わり『鉄の暴風』の執筆者の一人である太田良博は親米派というより、アメリカを利用して琉球放送の社長までのし上がった人物で、沖縄タイムス50周年企画の連載で「アナーキストと歌人の顔」と紹介された共産主義者です。敵の敵は見方という感覚でアメリカと組んで反日活動をしたのでしょう。
大田昌秀も筑紫と同じような「自称親米」ではないでしょうか?
コイツが親米だったとは想像もつきません。
左翼の主張は全て疑うべきですね。
お名前: ●Takashi
ちゃん 2008年09月19日 05:43

沖縄と北海道は、左翼思想・共産主義者・非現実的夢想主義者、こーゆー類のクズどもに、間違いなく「利用」されてるんでしょうね。
どちらも地方の比較的閉ざされた地域の為、情報を操作しやすい。
悲惨な歴史がその地域にある為(もっとも歴史上争いの無かった地域なんてこの世界にあるのか甚だ疑問ですが。ただ、他地域より悲惨さが‘目に付かされ’ますね)同情をかいやすい、また同情してもらって当然なんだ、と被害者意識を構築させやすい。
どちらも日本本土と少し変わった文化系統があり、独自色が強い為、他者(特に多数意見や、普通の、言って見れば当たり前だから‘面白くない’意見)との違いを独自性だと刷り込ませやすい。
がしかし、比較的狭い地域性のため、同じ地域内ではあまり浮いた言動は出来ず、特に一昔前はそれが顕著だった。
なんかがぱっと思いつきましたが。
他にもあるでしょうが、色々な理由から、クズ左翼のイー餌食になってるように思えてなりません。
奴らは純情な人達を騙して、被害者意識を刷り込んで、思想を洗脳して、そういう人達に発言をさせることによって、いかにも、一般市民にも沢山の賛同者がいる。
というプロパガンダに利用しているようにしか見えません。
ただ、利用されてる人達には早く、自分達の状況を把握していただきたい。
それにはやはり自分で‘気付く’力が必要でしょう。
何かおかしいよな?
という少しの疑問を持つだけで世界が変わります。早く、両県民(いや、日本国民全員ですかね)の皆さんが疑問を持ってくれるよう切に望みます。
そして、純情な人達を自分の主義主張の為に利用するクズ共には死ぬかお好きな隣国に越してもらいたいもんですね。
長文失礼致しました。
どちらも地方の比較的閉ざされた地域の為、情報を操作しやすい。
悲惨な歴史がその地域にある為(もっとも歴史上争いの無かった地域なんてこの世界にあるのか甚だ疑問ですが。ただ、他地域より悲惨さが‘目に付かされ’ますね)同情をかいやすい、また同情してもらって当然なんだ、と被害者意識を構築させやすい。
どちらも日本本土と少し変わった文化系統があり、独自色が強い為、他者(特に多数意見や、普通の、言って見れば当たり前だから‘面白くない’意見)との違いを独自性だと刷り込ませやすい。
がしかし、比較的狭い地域性のため、同じ地域内ではあまり浮いた言動は出来ず、特に一昔前はそれが顕著だった。
なんかがぱっと思いつきましたが。
他にもあるでしょうが、色々な理由から、クズ左翼のイー餌食になってるように思えてなりません。
奴らは純情な人達を騙して、被害者意識を刷り込んで、思想を洗脳して、そういう人達に発言をさせることによって、いかにも、一般市民にも沢山の賛同者がいる。
というプロパガンダに利用しているようにしか見えません。
ただ、利用されてる人達には早く、自分達の状況を把握していただきたい。
それにはやはり自分で‘気付く’力が必要でしょう。
何かおかしいよな?
という少しの疑問を持つだけで世界が変わります。早く、両県民(いや、日本国民全員ですかね)の皆さんが疑問を持ってくれるよう切に望みます。
そして、純情な人達を自分の主義主張の為に利用するクズ共には死ぬかお好きな隣国に越してもらいたいもんですね。
長文失礼致しました。
お名前: 犬猫☆ ちゃん 2008年09月19日 20:01
犬猫☆さんへ
北と南で地上戦がありましたし、アイヌ民族・琉球民族と、民族意識を利用して騙しやすいのでしょうね。それと、領土として欲しがる隣国があるから左翼も力を入れるのでしょう。
実際はどれ程の人が騙されているのか?
県知事選では保守が3連勝中で、護国神社の参拝者は毎年増え続け、20万人を超えているそうですが、全国で唯一共産党が議席を増やしたり・・・正直、訳が分かりません。
私は基地のある地域に住んでいるのですが、基地がある地域は被害者意識を持ちやすいような気もします。
本当の保守は、絶対に革新には票は入れないので、保守が負けた時の票数を見て、その地域の保守の割合として考えています。まぁ正確ではないと思いますけど。
北と南で地上戦がありましたし、アイヌ民族・琉球民族と、民族意識を利用して騙しやすいのでしょうね。それと、領土として欲しがる隣国があるから左翼も力を入れるのでしょう。
実際はどれ程の人が騙されているのか?
県知事選では保守が3連勝中で、護国神社の参拝者は毎年増え続け、20万人を超えているそうですが、全国で唯一共産党が議席を増やしたり・・・正直、訳が分かりません。
私は基地のある地域に住んでいるのですが、基地がある地域は被害者意識を持ちやすいような気もします。
本当の保守は、絶対に革新には票は入れないので、保守が負けた時の票数を見て、その地域の保守の割合として考えています。まぁ正確ではないと思いますけど。
お名前: ●Takashi
ちゃん 2008年09月20日 14:29

日の丸を振り回して米国の占領を離れた沖縄。米国支配を逃れる旗印に、日の丸を盲信したのでしょう。
日本に復帰したと思っても、相変わらず基地はあるし失業率も高いし、アメリカ兵の犯罪はなくならないし。信じていた日本に裏切られた感じで。そのへんが、今の沖縄で日の丸が駄目な理由でしょうね。
日本に復帰したと思っても、相変わらず基地はあるし失業率も高いし、アメリカ兵の犯罪はなくならないし。信じていた日本に裏切られた感じで。そのへんが、今の沖縄で日の丸が駄目な理由でしょうね。
お名前: oyakatahinomaru ちゃん 2011年08月08日 19:03