2008年10月15日
(上)-あふれる反日報道・平和教育
真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から62年(28)
飛び出した証言(上)-あふれる反日報道・平和教育
国歌歌わぬ教師に落胆
飛び出した証言(上)-あふれる反日報道・平和教育
国歌歌わぬ教師に落胆
平成十六年七月十六日の昼。
仕事の傍ら、仲間と一緒に青少年健全育成活動を進めている錦古里正一さん(52)は、この日、那覇市天久にあるエッカホテルでの出来事を今も鮮明に覚えている。千葉出身の彼は、宮古島生まれの妻と結婚し、平成四年に宜野湾市に家族で引っ越してきた。
そのころ、妻の実家からは勘当同然の扱いを受けていた。
義父は先の大戦に従軍した時に本土兵から見下された扱いを受けたことを非常に怨(うら)んでおり、当時の同郷の戦友と誓い合った。
「娘たちは内地の人間とは結婚させない」と。
だから、あいさつに来た錦古里さんの人柄もまともに見ようとはしなかった。
そんな義父の気持ちを少しでも和らげたいと家族で沖縄に移り住んだ。
しかし、本土では予想もしなかった辛(つら)いことが待ち受けていた―。
ほぼ契約が決まりかけた住居は、大家が彼の名字を聞いて
「内地の人間には貸せん」と断ってきた。
何とか住まいを探すことはできたが、子供のPTA活動にかかわってまた驚いた。慰霊の日が近づく五月から六月、地元メディアは「反戦・平和・反基地」一色に染まる。
学校の授業でも平和教育が熱心に行われ、まだ政治的な意味合いが十分理解できていない子供たちが意見発表会で「反日・反基地」発言を行う。
学芸会でもそうした定番の出し物があると気付いた。
錦古里さんが最も衝撃を受けたのは入学式・卒業式だった。
「誰も、君が代を歌わないのです。
起立しない先生もいて、本当に残念でした。
悔しくて、自分一人腹の底から大声を出して歌っていましたね」
小中学のPTA活動で一緒に子供たちのために頑張ってくれた仲間の保護者や教員までもが歌わない姿には憤りさえ感じた。
かつて日本軍は壕(ごう)から住民を追い出し見殺しにした、スパイ容疑で住民を殺した、集団自決を命令した・・・・・・。
そのような報道に触れるたび、彼は疑問を覚えた。本当に日本軍は悪いことをしたのか、かつての日本はそれほどひどい国だったのか。戦争に関する本を読みあさり、歴史の勉強を深めるに従い、沖縄のメディアの報道とは違う「沖縄戦」の実相が浮かんできた。
やがて保守系の勉強会「三欣会(さんきんかい)」(惠忠久会長)に参加するようになった。
錦古里さんはその日、用事で出掛けた銀行で偶然、目にした「沖縄タイムス」の記事に釘(くぎ)付けになった。沖縄市に住む平長清さん(74)が戦時中、自宅の離れを借りていた、気さくで優しかった日本兵と再会したい、という記事が写真付きで載っていたからだ。
「それまでの十二年間、沖縄戦や当時の日本兵に関して地元メディアの好意的な報道を全く知らなかったので、本当に感動しました」と錦古里さん。
その日の午後に行われた三欣会の集まりで、意見を求められた彼は、このことを語った。
自分の結婚に始まり、すさまじい平和教育、糸満にある平和祈念資料館にある非人道的な日本軍を告発する展示の数々に言及した。
「中学に入ると、子供たちは校歌も歌わなくなります。
小学校で先生が国歌を歌わない姿を六年間も見ているからです。
国や自衛隊、警察への不信ばかり植え付けられた子供が大人や社会に対して反抗的になるのは必然です。
果たして、こんなことで良いのでしょうか」
「人間は死ぬ時、利己的になる人もいるかもしれません。しかし、人のために命をささげる人もいたのではないでしょうか。
今朝の沖縄タイムスの報道を見て、感激しました。
どうか、ご年配の方にお願いしたい!
沖縄戦で素晴らしい日本人がいたら、
必ず形にして遺(のこ)してください。
そうしない限り、沖縄の青少年問題は
解決することはできません!」
沖縄に来てからの十二年間の思いを初めて人前で涙ながらに吐露した。
すると、すぐそばに座っていた年配の男性が突然、立ち上がった。
●Takashi
このような話は殆ど取り上げられないので、不愉快な思いをする本土の方は多いでしょう。私を「反沖縄」と思う県民もいるでしょうが、違います。
私は沖縄を駄目にする恨みの塊のような沖縄のメディアと左翼が嫌いなだけです。
数年前、沖縄のマスゴミが戦後60年企画で「戦争体験者」の証言を集めていました。私の父に電話があり、約1時間ほど沖縄戦当時の話をしたそうです。沖縄のマスゴミは反日・反日本軍的な話し以外は取り上げない事がハッキリと分かる出来事でした。長い時間証言したのに取り上げられなかったと怒っていました。
17日の朝、続きをエントリしますので、お楽しみに!
仕事の傍ら、仲間と一緒に青少年健全育成活動を進めている錦古里正一さん(52)は、この日、那覇市天久にあるエッカホテルでの出来事を今も鮮明に覚えている。千葉出身の彼は、宮古島生まれの妻と結婚し、平成四年に宜野湾市に家族で引っ越してきた。
そのころ、妻の実家からは勘当同然の扱いを受けていた。
義父は先の大戦に従軍した時に本土兵から見下された扱いを受けたことを非常に怨(うら)んでおり、当時の同郷の戦友と誓い合った。
「娘たちは内地の人間とは結婚させない」と。
だから、あいさつに来た錦古里さんの人柄もまともに見ようとはしなかった。
そんな義父の気持ちを少しでも和らげたいと家族で沖縄に移り住んだ。
しかし、本土では予想もしなかった辛(つら)いことが待ち受けていた―。
ほぼ契約が決まりかけた住居は、大家が彼の名字を聞いて
「内地の人間には貸せん」と断ってきた。
何とか住まいを探すことはできたが、子供のPTA活動にかかわってまた驚いた。慰霊の日が近づく五月から六月、地元メディアは「反戦・平和・反基地」一色に染まる。
学校の授業でも平和教育が熱心に行われ、まだ政治的な意味合いが十分理解できていない子供たちが意見発表会で「反日・反基地」発言を行う。
学芸会でもそうした定番の出し物があると気付いた。
錦古里さんが最も衝撃を受けたのは入学式・卒業式だった。
「誰も、君が代を歌わないのです。
起立しない先生もいて、本当に残念でした。
悔しくて、自分一人腹の底から大声を出して歌っていましたね」
小中学のPTA活動で一緒に子供たちのために頑張ってくれた仲間の保護者や教員までもが歌わない姿には憤りさえ感じた。
かつて日本軍は壕(ごう)から住民を追い出し見殺しにした、スパイ容疑で住民を殺した、集団自決を命令した・・・・・・。
そのような報道に触れるたび、彼は疑問を覚えた。本当に日本軍は悪いことをしたのか、かつての日本はそれほどひどい国だったのか。戦争に関する本を読みあさり、歴史の勉強を深めるに従い、沖縄のメディアの報道とは違う「沖縄戦」の実相が浮かんできた。
やがて保守系の勉強会「三欣会(さんきんかい)」(惠忠久会長)に参加するようになった。
錦古里さんはその日、用事で出掛けた銀行で偶然、目にした「沖縄タイムス」の記事に釘(くぎ)付けになった。沖縄市に住む平長清さん(74)が戦時中、自宅の離れを借りていた、気さくで優しかった日本兵と再会したい、という記事が写真付きで載っていたからだ。
「それまでの十二年間、沖縄戦や当時の日本兵に関して地元メディアの好意的な報道を全く知らなかったので、本当に感動しました」と錦古里さん。
その日の午後に行われた三欣会の集まりで、意見を求められた彼は、このことを語った。
自分の結婚に始まり、すさまじい平和教育、糸満にある平和祈念資料館にある非人道的な日本軍を告発する展示の数々に言及した。
「中学に入ると、子供たちは校歌も歌わなくなります。
小学校で先生が国歌を歌わない姿を六年間も見ているからです。
国や自衛隊、警察への不信ばかり植え付けられた子供が大人や社会に対して反抗的になるのは必然です。
果たして、こんなことで良いのでしょうか」
「人間は死ぬ時、利己的になる人もいるかもしれません。しかし、人のために命をささげる人もいたのではないでしょうか。
今朝の沖縄タイムスの報道を見て、感激しました。
どうか、ご年配の方にお願いしたい!
沖縄戦で素晴らしい日本人がいたら、
必ず形にして遺(のこ)してください。
そうしない限り、沖縄の青少年問題は
解決することはできません!」
沖縄に来てからの十二年間の思いを初めて人前で涙ながらに吐露した。
すると、すぐそばに座っていた年配の男性が突然、立ち上がった。
●Takashi
このような話は殆ど取り上げられないので、不愉快な思いをする本土の方は多いでしょう。私を「反沖縄」と思う県民もいるでしょうが、違います。
私は沖縄を駄目にする恨みの塊のような沖縄のメディアと左翼が嫌いなだけです。
数年前、沖縄のマスゴミが戦後60年企画で「戦争体験者」の証言を集めていました。私の父に電話があり、約1時間ほど沖縄戦当時の話をしたそうです。沖縄のマスゴミは反日・反日本軍的な話し以外は取り上げない事がハッキリと分かる出来事でした。長い時間証言したのに取り上げられなかったと怒っていました。
17日の朝、続きをエントリしますので、お楽しみに!
Posted by ●Takashi ちゃん 06:04│Comments(3)
│沖縄問題
この記事へのコメント
こんにちわ。
私は以前八重山の学校にいました。
あそこでも国歌は歌いませんでしたね。
中学校6校知っていますが伴奏録音は流れるものの、誰も歌いませんでした。たまに良心的な先生は小声ながらも歌っているひともいました。父母の方々の方が歌っていましたね。
でも生徒は無理ないのです。だって習わないのですから、君が代の歌詞がどんなものか知りません。
沖縄県民の反日感情の半分はアメリカ軍の宣撫工作でしょうね。
アメリカ統治下に米陸軍第八心理作戦部隊が今のキャンプ・キンザーにあって、そこで日本本土と沖縄の離反工作が行われていたようです。
つまり、沖縄は日本から見捨てられたが、アメリカは占領軍だが日本以上の貢献、恩恵を沖縄にしてあげた。ということ。
あと半分は本土復帰後に本土から入ってきた労働運動家や日教組などの左翼活動家とそのオルグでしょうね。かれらは当然社会主義、共産主義なので当時の旧ソ連や中国への帰属意識のほうがつよかったでしょう。ですから反日、反米は実にわかり易いですね。
しかし現在は既に左翼、共産主義なんて過去のカビの生えた遺物になりましたのでいい加減県民も目を覚ますべきですね。
私は以前八重山の学校にいました。
あそこでも国歌は歌いませんでしたね。
中学校6校知っていますが伴奏録音は流れるものの、誰も歌いませんでした。たまに良心的な先生は小声ながらも歌っているひともいました。父母の方々の方が歌っていましたね。
でも生徒は無理ないのです。だって習わないのですから、君が代の歌詞がどんなものか知りません。
沖縄県民の反日感情の半分はアメリカ軍の宣撫工作でしょうね。
アメリカ統治下に米陸軍第八心理作戦部隊が今のキャンプ・キンザーにあって、そこで日本本土と沖縄の離反工作が行われていたようです。
つまり、沖縄は日本から見捨てられたが、アメリカは占領軍だが日本以上の貢献、恩恵を沖縄にしてあげた。ということ。
あと半分は本土復帰後に本土から入ってきた労働運動家や日教組などの左翼活動家とそのオルグでしょうね。かれらは当然社会主義、共産主義なので当時の旧ソ連や中国への帰属意識のほうがつよかったでしょう。ですから反日、反米は実にわかり易いですね。
しかし現在は既に左翼、共産主義なんて過去のカビの生えた遺物になりましたのでいい加減県民も目を覚ますべきですね。
お名前: トラネコ ちゃん 2008年10月15日 21:15
東京から、空路2時間ですがそれ以上に距離感を感じますね。
去った北京オリンピックで、日本選手の活躍に感動し、掲揚される日の丸によくやったと日本中が声援を送ったはずです。
素朴な疑問ですが、君が代、日の丸を嫌悪する人達はどの国の選手を応援するのでしょう。まさか中国や韓国じゃないと思うんですが。
最終的には、どこを応援しようと個人の自由ですが、国政が安定しない国の国民は惨めです。やはり国あっての個人でしょう。
去った北京オリンピックで、日本選手の活躍に感動し、掲揚される日の丸によくやったと日本中が声援を送ったはずです。
素朴な疑問ですが、君が代、日の丸を嫌悪する人達はどの国の選手を応援するのでしょう。まさか中国や韓国じゃないと思うんですが。
最終的には、どこを応援しようと個人の自由ですが、国政が安定しない国の国民は惨めです。やはり国あっての個人でしょう。
お名前: 涼太 ちゃん 2008年10月16日 21:02
トラネコさんへ
生の情報ありがとうございます。
確かに習いませんね。子供の頃から好きでしたが、習わないので歌えませんでした。学校の帰り道に笛で君が代を吹いていました。
米軍は上陸前から用意していたそうですし、サイパンとは違って数万人で県民を救助する作戦もあったようで、騙された人も多いでしょうね。
洗脳されている事に本人は気がつかないでしょうから、洗脳を解くのは難しいですね。基地に反対している人の中に、どれくらい共産主義者がいるのか分かりませんが、大半は洗脳された人たちのような気がします。
涼太さんへ
左翼の感覚が理解できませんね。
インターナショナル等を歌いたいのかもしれませんね。
左翼は生涯国家を憎み、人を憎んで死んでいくのでしょうね。
ああは成りたくないですね。
生の情報ありがとうございます。
確かに習いませんね。子供の頃から好きでしたが、習わないので歌えませんでした。学校の帰り道に笛で君が代を吹いていました。
米軍は上陸前から用意していたそうですし、サイパンとは違って数万人で県民を救助する作戦もあったようで、騙された人も多いでしょうね。
洗脳されている事に本人は気がつかないでしょうから、洗脳を解くのは難しいですね。基地に反対している人の中に、どれくらい共産主義者がいるのか分かりませんが、大半は洗脳された人たちのような気がします。
涼太さんへ
左翼の感覚が理解できませんね。
インターナショナル等を歌いたいのかもしれませんね。
左翼は生涯国家を憎み、人を憎んで死んでいくのでしょうね。
ああは成りたくないですね。
お名前: ●Takashi
ちゃん 2008年10月19日 04:51
