2008年08月23日
「ナイチンゲール」の虚実 ㊤
ビューポイント 沖縄戦「集団自決」から62年 真実の攻防
「ナイチンゲール」の虚実 ㊤
終戦ドラマに失望と怒り
戦場での性描写、友軍による銃殺
昨年八月二十二日夜。日本テレビは「終戦記念特別ドラマ」と題して
「最後のナイチンゲール」を二時間半、放送した。
「最後のナイチンゲール」の一場面(日本テレビ公式ホームページから)
「ナイチンゲール」の虚実 ㊤
終戦ドラマに失望と怒り
戦場での性描写、友軍による銃殺
昨年八月二十二日夜。日本テレビは「終戦記念特別ドラマ」と題して
「最後のナイチンゲール」を二時間半、放送した。
「最後のナイチンゲール」の一場面(日本テレビ公式ホームページから)
長谷川京子演じるヒロインの婦長、新城美智子には実在のモデルがいる。
沖縄で「日本のナイチンゲール」と呼ばれた陸軍病院第一外科の婦長、上原貴美子(戸籍では、キミ)その人である。
彼女は明るく美しく、わずかな看護訓練を受けたひめゆり学徒をリードし、生死をさまよう兵士の命を救うため献身的に働いた。生き残った宮良(みやら)ルリさんは上原について、こう語っている。
「婦長さんが各壕(ごう)を回って、負傷した兵隊さんたちを励まされるんですよ。
上原婦長が壕の前に立たれると、兵隊たちはワーツと手をたたいて、『婦長がきた、婦長がきた』といってとても喜んだんです。兵隊たちからも慕われていたし、もう神様みたいに思われていたんじゃないでしょうか」
(香川京子著『ひめゆりたちの祈り』)
ひめゆり学徒を引率した教師、仲宗根政善・琉球大学名誉教授(故人)もその著書で
「沖縄の女性で戦争中、上原婦長ほど勇敢に自分の職責をはたした者はなかったろう。いや、日本の女性の中でもきわめてまれであったろう」と、最大級の賛辞を贈っている。
ドラマの冒頭で
「上原貴美子さんの生き方に感銘を受け、つくりあげたオリジナルストーリー」
とテロップが流れ、ナレーターがこれを読み上げる。
だが、期待した多くの視聴者は、物語の展開に驚き、落胆し、しまいには憤りを覚えた。
最後の場面はこうだ。
南部の自然壕で日米の兵士が対峙(たいじ)する中で、妊婦が産気づく。
その場で新しい命の産声が上がり、双方の兵士が喜ぶという設定だが、あまりに脚色が強く、違和感がある。
「水が欲しい」という女性に、米兵が投げた水筒を日本兵が手榴弾(しゅりゅうだん)と間違え、戦闘が再開される。
誕生したばかりの赤ん坊もその母親も銃弾で即死。
やがて「皿の海」が広がるかと思いきや、一転して、婦長と、重傷を負い助かる見込みのない兵士だけの洞窟(どうくつ)に場面が変わり、
そこで二人がセックスをする-----。
全くあり得ない、この状況設定に視聴者の非難が集中し、番組公式サイトにも辛辣(しんらつ)な意見が相次いだ。
<やはり問題のシーンはいらなかったと思う。
そのシーンだけでものすごく興冷めしてしまったのでチャンネルを変えた。
もっと真剣にドラマを作って欲しかった。あれじゃあ沖縄の人達がかわいそうだ>
<内容に嘘が多いのが気になりました。ラストのラブシーンは不要です!>
<あのシーンは絶対に必要ない!!観たくなかった>
翌日、生きるため投降しようとする婦長を背後から日本兵が銃殺するという、何とも救いようのない結末。
ドラマは戦争をする日本軍兵士の愚かさを強調し、
一方で「女が世界を変えてやるんだ」と婦長に語らせ、
生まれてくる子はどの子もみな女の子ばかり。
フェミニストが喜ぶ反戦ストーリーだ。
もし上原婦長が今も生きていれば、どんな監督もこのような場面を作ることはできないはずだ。
しかし、婦長を「恩人」と慕う人々や誇りに思う親戚(しんせき)は健在だ。
そのような人からの批判を予想してか、最後に
「この物語はフィクションであり、いかなる人物・団体・名称等も実在のものとは一切関係ありません」という字幕。
姑息(こそく)を超えて卑怯(ひきょう)なやり方だ。
ドラマは上原貴美子だけでなく、あの沖縄戦で亡くなった人も生き残った人たちをも冒涜している。
●Takashi
上原貴美子婦長の最後はどうだったのか?続きは25日に投稿する予定です。
沖縄で「日本のナイチンゲール」と呼ばれた陸軍病院第一外科の婦長、上原貴美子(戸籍では、キミ)その人である。
彼女は明るく美しく、わずかな看護訓練を受けたひめゆり学徒をリードし、生死をさまよう兵士の命を救うため献身的に働いた。生き残った宮良(みやら)ルリさんは上原について、こう語っている。
「婦長さんが各壕(ごう)を回って、負傷した兵隊さんたちを励まされるんですよ。
上原婦長が壕の前に立たれると、兵隊たちはワーツと手をたたいて、『婦長がきた、婦長がきた』といってとても喜んだんです。兵隊たちからも慕われていたし、もう神様みたいに思われていたんじゃないでしょうか」
(香川京子著『ひめゆりたちの祈り』)
ひめゆり学徒を引率した教師、仲宗根政善・琉球大学名誉教授(故人)もその著書で
「沖縄の女性で戦争中、上原婦長ほど勇敢に自分の職責をはたした者はなかったろう。いや、日本の女性の中でもきわめてまれであったろう」と、最大級の賛辞を贈っている。
ドラマの冒頭で
「上原貴美子さんの生き方に感銘を受け、つくりあげたオリジナルストーリー」
とテロップが流れ、ナレーターがこれを読み上げる。
だが、期待した多くの視聴者は、物語の展開に驚き、落胆し、しまいには憤りを覚えた。
最後の場面はこうだ。
南部の自然壕で日米の兵士が対峙(たいじ)する中で、妊婦が産気づく。
その場で新しい命の産声が上がり、双方の兵士が喜ぶという設定だが、あまりに脚色が強く、違和感がある。
「水が欲しい」という女性に、米兵が投げた水筒を日本兵が手榴弾(しゅりゅうだん)と間違え、戦闘が再開される。
誕生したばかりの赤ん坊もその母親も銃弾で即死。
やがて「皿の海」が広がるかと思いきや、一転して、婦長と、重傷を負い助かる見込みのない兵士だけの洞窟(どうくつ)に場面が変わり、
そこで二人がセックスをする-----。
全くあり得ない、この状況設定に視聴者の非難が集中し、番組公式サイトにも辛辣(しんらつ)な意見が相次いだ。
<やはり問題のシーンはいらなかったと思う。
そのシーンだけでものすごく興冷めしてしまったのでチャンネルを変えた。
もっと真剣にドラマを作って欲しかった。あれじゃあ沖縄の人達がかわいそうだ>
<内容に嘘が多いのが気になりました。ラストのラブシーンは不要です!>
<あのシーンは絶対に必要ない!!観たくなかった>
翌日、生きるため投降しようとする婦長を背後から日本兵が銃殺するという、何とも救いようのない結末。
ドラマは戦争をする日本軍兵士の愚かさを強調し、
一方で「女が世界を変えてやるんだ」と婦長に語らせ、
生まれてくる子はどの子もみな女の子ばかり。
フェミニストが喜ぶ反戦ストーリーだ。
もし上原婦長が今も生きていれば、どんな監督もこのような場面を作ることはできないはずだ。
しかし、婦長を「恩人」と慕う人々や誇りに思う親戚(しんせき)は健在だ。
そのような人からの批判を予想してか、最後に
「この物語はフィクションであり、いかなる人物・団体・名称等も実在のものとは一切関係ありません」という字幕。
姑息(こそく)を超えて卑怯(ひきょう)なやり方だ。
ドラマは上原貴美子だけでなく、あの沖縄戦で亡くなった人も生き残った人たちをも冒涜している。
●Takashi
上原貴美子婦長の最後はどうだったのか?続きは25日に投稿する予定です。
Posted by ●Takashi ちゃん 05:55│Comments(0)
│沖縄問題